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週刊新潮 八月二日号
「石原良純の楽屋の窓 」
210回
オオカミ少年な僕

「良純、驚愕の二百アップなるか」
 そんな活字が新聞のテレビ欄に躍ったのは、『豪腕!コーチング!!』(テレビ東京系・月曜夜)でのこと。
 敏腕コーチが秘伝の技を超短期間で伝授すると、実力が即アップする講座。
 僕が三日間のボウリング集中講座で、いかにボウリングに目覚め、学び、上達したかは本誌〇六年九月十四日号に既報のとおりだ。
 ところが練習では二〇四ピンを叩き出し、自信満々で臨んだ卒業試験で、悲劇は起こった。
 本番は、ひとり一ゲームのガチンコ一発勝負。僕を含めて五名の受講生には、それぞれレベルに合わせた目標ピン数が設定されている。リーダーの僕に与えられたノルマが二百ピンクリアだった。
 司会の今田耕司さんのアナウンスで、入場ゲートのカーテンが開いて驚いた。レーンを取り囲むテレビカメラ、煌々と輝くライト、特設スタンドには大勢の観客。両隣のレーンには、ご丁寧にも赤い絨毯が敷かれ、植木鉢のお花が並んでいる。それはテレビのボウリング中継で見る景色に違いないが、いざ自分がそこで投げるとなると、緊張感がサッと全身に漲った。
 本番が始まって人が投げるのを観ていると、その人の緊張感が自分に伝染する。不安を振り払い気持ちを落ち着かせるには、大声で応援するのがいい。しかし、この目一杯に力のこもった応援が仇となった。
 四人の挑戦が散々な結果に終わり、トリを務める僕は皆の期待を一身に背負ってレーンに立った。練習どおりに薬指、中指、そして親指の順にボールの穴に指を入れる。だが、ボールを持ち上げようとすると、右手に全く力が入らない。仲間を応援した約一時間の間、ずっときつく拳を握っていた僕の手は、すっかり握力が無くなっていたのだ。
 テークバックすれば後ろにボールを落としてしまいそう。それでも、ゲームを棄権するわけにはいかない。運を天に任せて放り投げたボールは、ヘロヘロとレーンを転がる。無論、コーチングで習得したスピンがかかるわけもない。
 衆人の冷たい視線を一身に浴び、針のむしろの一ゲーム。恥を忍びつつ投げ終えてみれば、なんとスコアーは九十二ピン。
「良純、リベンジなるか」
 二カ月後、二度目の挑戦のテレビ欄に”リベンジ”の文字を見つけた。諦めの良い僕は、リベンジなんて気はさらさらなかったのに、プロデューサー氏にそそのかされ、再びレーンに立つことになったのだ。前回の経験を活かし握力を温存してゲームに臨む。それでもスコアーは百七十止まりだった。
「今夜、遂に二百達成」
 三度目のテレビ欄は、さも僕が二百アップを出したかのような文言。
「最終章、二百アップ」
 四度目のテレビ欄も、まだ僕の二百アップを信じてくれていた。
 ところが、五度目のチャレンジになると、チームリーダーの僕の名前はテレビ欄からすっかり消えていた。それはそうだ。”オオカミ少年”ではあるまいし、超える超えるといくら書き立てても、もう誰も僕が二百アップするとは信じないのだから。
 だが、一年弱の間に二百アップに五度挑戦をした僕は、延べ二十日以上はボウリング場に通った。おかげで僕のボウリング技術が、格段に向上したのは事実だ。
 見よ、下半身が安定し、左腕を大きく広げたバランスのいいフォーム。ちなみに先日は、中学三年時の自己ベストタイの二一一を叩き出した。
 そんな僕は七月二十八・二十九日のフジテレビ『FNS27時間テレビ』でまたまたボウリングに挑戦する。
 今度こそ、大活躍する予定だから、御期待あれ。

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