週刊新潮 八月三十日号
「石原良純の楽屋の窓
」
213回
いただきマウス
”語りあおう その日の でき事 食卓で”
我が家のミーティングタイムは、毎日の朝食。幼稚園や公園でのでき事を、長男・良将が僕に一生懸命に説明してくれる。
「鉄橋に成田エッペッペ走っていたね」と、目を真ん丸くして力説するのは、成田エクスプレスのこと。でも、それって先週末の話ではないか。毎度のことながら、良将の話は、今ひとつ要領をえない。
”好き嫌い しない子 強い子 元気な子”
玄米ご飯に納豆としらす干し。大根と人参と豆腐の味噌汁。これに牛乳が良将のお決まりの朝定食。栄養バランスはOKかもしれないが、タコ足ソーセージや玉子焼きに目もくれない良将は、偏食児童に違いない。
一方、何でも食べる長女・舞子は、自分のお皿そっちのけで僕のおかずに興味津々だ。ハム、ソーセージ、目玉焼き、焼き魚、野菜サラダ、お漬物に梅干し。あらゆる品に手が伸びる。お気に入りを見つけると、口いっぱいに頬張る舞子。「ちゃんとモグモグしなさい」舞子を窘める僕は改めて気がついた、自分も食べ物を噛まずに呑み込んでいることに。
”いただきます ごちそうさまは 愛言葉”
「いただきマウス」と子供達が軽口を叩くのは、言い出しっぺの僕のせいに違いない。ふざけ笑顔で二人が声を揃えて”マウス”と言う度に、僕は女房にジロリと睨まれる。
その昔、僕が芸能界に入るにあたり、裕次郎叔父の薫陶を受けたのが挨拶の大切さだった。挨拶は人間生活の基本。良将や舞子にも、どんな時でもちゃんとした挨拶ができるように教えなければ。
前述の三つは、約四万点の応募の中から選ばれた、食育に関する標語。
食育とは、食に関する正しい知識を身に付けること。
自分を健康にしてくれる食べ物を選ぶ力を養う。正しい食事作法を身に付ける。普段、何気なく口にしている食べ物が、どこからやって来るのかを知る。限られた地球資源の実情や深刻な問題を理解する。
そのためには、なにより人格の基礎が作られる三歳から八歳までの食卓での躾が重要なのだそうだ。
人間が生きることは、食べること。食べなければ、人間は生きてはいけない。
しかし、地球上の現実に目を向けると、人類と食の関わりはアンバランスなものになっている。
地球のどこかに数億人単位の飢えに苦しむ人がいる一方で、充分に食べられる物を何の躊躇もなく捨ててしまう国もある。
今年の正月に、ある番組で”今年の目標”というアンケートを取ったところ、八〇パーセント以上の人が、”ダイエット”と答えていた。そんな飽食の国では、美食、グルメに走る者もいれば、計算上の栄養バランスを追い求めて、サプリメントだけで食事を済ませてしまう者もいる。自分だけの自由な時間を楽しむ独り暮らしの若者は、コンビニに行きつく。時間の代わりに失ってしまう”家族の味”。コンビニは、そんなに便利なものなのだろうかという疑問も湧いてくる。
食と人間の今を科学するのが、サイエンススペシャル『人類と食のミステリー』(フジテレビ系・二十四日夜)。
僕が中でも興味を持ったのが、”フーディア”。南部アフリカ、カラハリ砂漠に自生する植物で、長い狩猟期間中に食べ物がない時の先住民の非常食。”フーディア”を食べると空腹感が抑えられるのだとか。
飽食の国では、それが今ダイエット食品として注目されている。飢餓感を抑える自然の恵みを、ダイエット食品にしてしまうのが僕らの暮らしだ。
大喰い番組もいいけれど、食との関わりを見直してみるのも暑い夏にはいいかも。
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