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週刊新潮 六月二日号
「石原良純の楽屋の窓」
103回
どうぞ、どうぞ、聞いてください 

お天気コーナーを担当する『FNNスーパーニュース』(CX系)。
 水曜レギュラーを務める『笑っていいとも!』(CX系)。
 その他、今週はやたらと生番組が多く、『スタジオパークからこんにちは』(NHK)、『レディス4』(TX系)、『そらナビ』(CBC)に出演した。
 僕の生番組初出演は、小学校三年生に遡る。
 当時の我が家は、神奈川県逗子住まい。番組収録は朝が早いからということで、前夜はテレビ局が赤坂のホテルを用意してくれた。
 お濠端の高速道路を流れる車のヘッドライトをツインルームの窓から見下ろして、束の間のアーバンライフを楽しんだ記憶がある。
 でも、何という番組だったか、どこの局だったかは覚えていない。
 一張羅の洋服を着せられて、生まれて初めてテレビ局へ連れて行かれた僕は、マイクを仕込まれ、パタパタとメークさんに粉をはたかれる。ライトきらめくスタジオに迎え入れられて、きっとお地蔵さんになっていたに違いない。
 よほど緊張していたのだろう、番組でどんな話を聞かれたのかも、家族の誰と出演したのかも、一切記憶に残っていない。
 子供の頃はおっかなくて仕方なかった、親父の鋭い視線の感触も子供心に残っていないから、親父はその場にいなかったはず。たしか、兄貴もいなかった。
「今日は僕が石原家を代表しなければ」と、ちょっぴり気張った覚えがある。
 母と僕、上の弟を交えての三人で生放送初出演を飾ったようだが、家庭用VTRなど無い時代。テレビ局も生放送をライブラリーしていない時代。僕のお宝映像は、残念ながらどこにも残っていない。
 過日、衆議院議員・石原慎太郎は、加州知事・ロナルド・レーガンを日本に招待し、一緒にテレビ出演したことがある。
 その後、レーガンがアメリカ大統領に就任すると、その時のビデオを必死で探したが、局をはじめどこにも残っていなかった。テレビ局が番組の全てをライブラリーするようになったのは、VTRテープが小型化した近年になってからのようだ。
 初出演で忘れられないもう一つの思い出は、生放送が終って逗子に戻る前、東京駅のデパートでのこと。
 買い物している母親をボーっと突っ立って待っていた僕の前に、見知らぬおばさんがツカツカと近づいて来た。そして、いきなり僕を指差して、「あんた、今朝、テレビに出てたでしょ」と言うではないか。
 なるほど僕は、画面に映った一張羅を着たままで家に帰ろうとしていた。そして、たしかに子供の僕も、眉は太かった。それでも、生番組に出た途端、不特定多数の人に指差されてしまう“テレビの力”に、子供ながら驚いたものだ。
 今の僕は、番組収録が終ったら、借りてきた衣裳はもちろん、私服を衣裳に使っていても、ともかく一度、着替えるのが鉄則。
 衣裳を脱がないと仕事が終った気がしないのと同時に、見知らぬ人にいきなり指差されたくないという、子供の頃の原体験が活きているのだ。
 さて、『スタジオパークからこんにちは』でも、煌々と明かりの灯ったスタジオに、大勢の観覧者が見つめる中、僕は大きな拍手で迎えて頂いた。
「大河ドラマ『義経』の源範頼役の役作りは……」。どうぞ、どうぞ、聞いてください。
「七光り、十四光りと言われて、映画デビューの経緯は……」。どうぞ、どうぞ、聞いてください。
「奥さんへのプロポーズの言葉は……」。どうぞ、どうぞ、聞いてください。
 でも僕は、生放送といえども答えにくい質問には、答えませんよ。
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