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週刊新潮 八月十一日号
「石原良純の楽屋の窓 」
113回
外に出ちゃダメ

「台風は何時に通過するのですか」と、最近よく聞かれることがある。
 特急列車ではあるまいし、人間の思惑どおりに台風が動いてくれるわけがない。
 テレビのニュースが台風接近を告げる朝、窓の外を眺めるといかにも怪し気な黒雲が、空の低い所を足早に駆けてゆく。南の海に渦巻く巨大エネルギーの先触れは、いかにも盗人の手下といった風情だ。
 僕は、木立をざわめかせ、音を立てて電線を揺らす風の正体を見極めようと玄関のドアを開く。ムッと湿った空気が折り重なって厚ぼったい風となり、ドアごと僕の体を押し退ける。
「これは危ない」
 僕の中にも僅かに残っている野性の勘が危険を告げる。僕は、慌てて家の中へ引っ込んだ。
 だが、台風の雨や風を怖がらない人が世の中には増えている。ひと頃のように、大時化の海の波打ち際からの中継こそ自粛されるようになったが、僕らはテレビ画像の暴風雨にすっかり慣れてしまった。実際に風雨に晒されてもどこか他人事のように振る舞う。自分の身に危害が及ぶなどとは露ほども思わず、平気な顔で嵐の街へと出かけてゆく。
 台風が近づく街には、蝉の鳴き声もなければ、ゴミ箱を漁るカラスの姿もない。生き物の中で人間だけが、嵐の中へノコノコ巣から出るのだ。
 ミミズだって大雨の日に外へ出る、と反論する輩がいる。でもミミズは、巣穴が大雨で水びたしになるのを恐れて這い出るのだ。それこそ天気予報を聞かずとも、生死を懸けたミミズの野性の勘だ。
 巣穴で溺れることを免れたミミズも、天気が急に回復してお天道様が顔を覗かすと、紫外線にやられて野垂れ死ぬ。仕事だから、遊びだから、と自分の都合で行動する人間とはわけが違うのだ。
 台風を恐れ、自然に畏敬の念を持って暮らそう、と僕が熱弁を奮っていたのは七月二十六日の『防災フォーラムinおおいた』でのことだ。
 でも、この日ばかりは僕の話に今一つ説得力がないことは、自分が一番知っていた。なにしろ台風の中、飛行機に乗ってノコノコやって来たのが、他ならぬ僕なのだから。
 この日の大分は気温三十五度の晴天だが、東京は朝から大型の台風七号の外側の雲がかかって、大粒の雨が屋根を叩く大荒れの天気。行きの飛行機こそ飛んだものの、台風が直撃しそうな東京にその日のうちに帰れる見込みは薄かった。
 パジャマに歯ブラシのお泊りセットを鞄に詰めて、せめて大阪まで飛んで伊丹泊。それもダメなら電車で福岡まで移動して、翌朝の朝一便で戻ってこよう。なんとか翌日正午の『笑っていいとも!』の生放送に辿り着く手立てを幾重にも巡らせての大分入りだった。
 果して、JAL1792便東京行きは、定刻の十六時三十五分を四十分遅れで飛び立った。但し、天候状況によっては大分空港へ引き返すという条件付き。
 一点の曇りもない青空に、雲が現れ始めたのは、瀬戸内海の島々を継ぐ瀬戸大橋を眼下に見下ろす頃だった。航空路オタクの僕は、窓外を眺めれば飛行位置を大概推定できるのだ。
 やがて上層・中層・下層の雲が継がって、真夏の強い西日も遮られ、窓の外は一面灰色の世界に変わる。途端に気流が乱れ、飛行機が大きく揺れ始めた。
 揺れ続けること三十分。高度を下げた窓外に東京湾の船の明かりが見えても、機が滑走路に滑り降りるまで、僕は帰りつけることに半信半疑だった。
 結局無事に帰ってこられたが、台風の怖さを人に説くこの僕が、台風の日に大分まで出かけていいのか。
 でも、講演会は休めない。『いいとも!』も休めない。これが現実。

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