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週刊新潮 八月十八日号
「石原良純の楽屋の窓 」
114回
一年に一度、海に浸かろう

スースー、ゴボゴボゴボ。
 横隔膜でベルトを押し広げるように、肺に入れるだけではなく、体の奥まで空気を吸い込む。
 怒ったカエルのように腹がポコンと膨らんだところで、今度は体の中の二酸化炭素をひねり出すようにゆっくり吐き出す。
 ポコポコと同じ大きさの気泡が、水中メガネの向こうの視界を昇っていけば、それがスキューバ・ダイビングの正しい呼吸法だ。
 腹一杯に空気を溜め込み、ゆっくり吐き出す呼吸法が、実は舞台の腹式呼吸とそっくりなのだ。 
その昔、僕が初舞台を踏むために発声法のレッスンを受けた時のこと。
「生ムギ、生ゴメ、生ナマゴ」
 噛み噛みで、ろくに口が廻らない僕ではあったが、腹を膨らませる呼吸法だけは最初から要領良く、先生にお褒め頂いた。
 この日僕が潜ったのは、広島県福山沖の宇治島周辺。水深八メートルの岩場には、煮付けにするにはまだちょっと早いメバルと、西日本では刺身で食べるというキュウセンベラが忙しく動き回っている。
 真夏の強い日差しは、浅い海の底まで届く。岩場に張り付く海草が黄金色に輝いている。浅瀬で陽の光に照らされていると、不思議なもので、海の中にいても額に汗が浮いてくる。
 そんな時には、ウェットスーツの襟首をつかんで、ガボッと海水をスーツの中に流し込む。体温で温まったスーツ内の海水と、外の海水が入れ替わり、ひんやりと肌が刺激されて、汗は治まる。
冷たい水に刺激されて、ウェットスーツの中でおしっこするのも気持ち良いものだ。深場に潜った時など、今度はそのおしっこが湯たんぽ代わりに体を温めてくれる。
「海は出かける所ではなく、帰る所」と、日頃から宣う僕の海一番の楽しみは、ただただ頭の先から足の先まで、どっぷりと海水に浸かること。
 別に、タンクを背負って海の底に潜らなくてもよい。波打ち際からザブンと飛び込むだけでいい。
 海面に体が沈むか沈まぬか、ゆらゆら波間に揺られていると、自分の体が溶けていくような錯覚を覚える。やがて、すっかり海の水に同化して、“やっぱり生命の源は海にあるのだ”なんて、妙に納得したものだ。
 ある年の瀬、真冬の日本海にロケに出かけた。鉛色の大波が荒磯に砕け散り真っ白い飛沫を上げる海を眺めるうちに、僕は無性に海へ飛び込みたくなった。 
 もちろん、仕事に行きづまったわけでも、資金繰りに窮したわけでもない。その年、一度も海に入っていなかったことに、体が反応したのだ。
 以来、間違って真冬の海に飛び込まぬように、僕は夏のスケジュールを確認し、海に出かけられないようならば、梅雨時の晴れ間を利用して、車を飛ばし逗子の海に出かける。
 浜辺についたらザブンと体を海に浸けるだけ。ヨットにも乗らなければ、泳ぎもしない。素肌に潮の香りをしみ込ませたなら、踵を返して街へ戻る。そんな僅かな時間でも、一年に一度は海に抱きしめてもらうことが、僕の年中行事となっている。
「今年は夏休みがあってよかったじゃない」と言われても、瀬戸内海で潜ったのも、実は仕事なのだ。
 来る八月二十七、二十八日の二十四時間テレビ(日本テレビ系)で、坂本竜馬ゆかりの蒸気船『いろは丸』引き揚げのリポーターを務める僕は、事前取材でこの海にやって来たのだ。それでも、海に入れたのだから僕は大満足。
 気象予報士の僕は、“一日に一度、空を見る”ことを薦め、スキューバ・ダイバーの僕は、“一年に一度、頭からどっぷり海に浸かる”ことをお薦めする。

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