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週刊新潮 八月二十五日号
「石原良純の楽屋の窓 」
115回
坂本龍馬の宝探し

慶應三年四月二十三日夜、濃霧の瀬戸内海を一艘の船が大坂へと向っていた。船の名は“いろは丸”。坂本龍馬が率いる海援隊が伊予大洲藩から借り受けた百六十トンの蒸気船だ。
 午後十一時、ズシーンと響く大きな物音と共に、“いろは丸”は、紀州藩所属の蒸気船“明光丸”に衝突される。
 船倉の積荷は土佐藩主山内客堂公の命を受け、大坂へ運ぶ鉄砲四百丁に弾薬などの高価な品々。なんとか積荷を守ろうと沈みかけた船を“明光丸”に曵航させて備後鞆ノ津へ向かうが、“いろは丸”は沈没する。
 その後、龍馬は『万国公法』を盾に、巧みな交渉術で徳川親藩の鼻を明かして八万両、今の金に換算して二十億円もの賠償金を紀州藩からせしめることになる。
 だが、本当に四百丁の鉄砲は“いろは丸”に積まれていたのか。坂本龍馬の船室には龍馬縁りの品々はあるのか。図面一枚も残っていない、“いろは丸”の船尾に掲げられていた女神像はあるのか。
 水深三十メートルの海底に眠る歴史ロマン。百三十八年ぶりの坂本龍馬の宝物大捜査に挑む広島県福山市の小さな漁港・鞆ノ浦の人々と、日本の水中考古学の草分け田辺昭三先生を応援するのが、今年の『二十四時間テレビ』(日本テレビ系二十七・二十八日)。
 調査は漁師がよく底引き網を海底の異物に引っ掛けるという水域を水中ソナーや水中レーダーを使って沈船の位置を特定することから始まった。僕は七月初旬、ソナーにエコーが映る沈船発見の現場にも立ち会った。
 八月に入ると、巨大クレーンを装備した潜水作業用の台船が用意され、モニター室と有線で繋がったダイバーを海底に送り込み、本格調査が開始された。
 ほぼ南北に横たわる船体は途中で二つに折れている。上甲板は陥没し、船体の全てが二メートルものヘドロに覆われている。
 ダイバーは、吸引ポンプの直径三十センチもあるノズルで積ったヘドロを吸い上げてゆく。吸い上げられたヘドロは、クレーンで水深七メートルの海中に吊るされた鉄カゴに噴出される。“いろは丸”の遺留品は、その鉄カゴの中に、ふるい落されるという仕掛けだ。
 真夏の日差しは水深十メートルまでしか届かない。その上、ひとたびダイバーが海底に足を着くと積ったヘドロが舞い上がり、視界は全く利かなくなる。僕らが台船で眺めるモニターには、時折ぼんやりとオレンジ色の光となって、ダイバーの肩に付けられた懐中電燈の灯りが浮かぶだけだ。
 海底のダイバーも右手に持つノズルが何を吸い込んだのかはもちろん、ヘドロの中を手探りする左手が何を掴んだのかは台船に戻ってみなければ分からない。水深三十メートルの真っ暗闇で過酷な作業が続く。
 二十四時間テレビの当日は、僕もボンベを背負って海に入り、海中から生中継することになっている。
 正直言って真っ暗な海の底へ出かけるのは気が重い。ましてや、マイク内臓のフルフェイスマスク。
 マスクとレギューレーターが分離した通常装備ならば、どちらか一つを失ってもリカバリーが利くが、フルフェイスではエアーと視界を一気に失う。スタッフは、マスクは絶対はずれぬと説明するが、非常事態には簡単にはずれるとも言う。
「マスクははずれるのか、はずれないのか、どっちなんだよ!」
 不安気な僕の表情を察した台船の老船長が、優しく話しかける。聞けば、船長さんのお兄さんは、僕のおじいさんと宇和島の中学校の同窓生なのだそうだ。
 そう、じいさんは瀬戸内の汽船屋。僕にも、瀬戸内の海の男の血が流れているのだ。ザブーンと飛び込んで、必ず、お宝をゲットしてやるもん。


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