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週刊新潮 九月一日号
「石原良純の楽屋の窓 」
116回
九十分は長い

スタジオにスタッフ六人がかりで運び込まれた大きな箱には、ハッチとデジタルタイマーが付いている。フロアに降ろされると、揺りカゴのようにゴロンゴロンと左右に揺れた。
 中は、大人ひとりが足を伸ばして座れるスペース。冷蔵庫のドアのように気密性のあるハッチが閉じられると、真っ暗で外の音は何も聞こえない。
 手元のスイッチを押すと外のタイマーが動き出す。中の人間は、ちょうど一分経過したと思ったなら、再びボタンを押す。頭の中で数を数えてはいけない。そのために箱は軽く揺すられたりもする。あくまでも、自分の感覚でタイマーを止めるのがミソ。
 子供の頃は、あんなに長かった一年間が、大人になると、あっという間に過ぎてゆく。そんな想いを、誰もが味わったことがあるに違いない。
 つまり、年を取ると自分が思う一分間は、実際の一分間より長いのだという。年齢と共に変化する時間の感覚、“自分時間”を知ることで、快適な毎日を送る術を身に付けようというのが、『時間学』の一川誠先生の講義だ。
 歴史は新発見があるたびに塗り換えられる。「イイクニ(一一九二)作ろう鎌倉幕府」と憶えていたが、今や幕府成立は一一八五年説が有力。日本史のリフォームをするのが、河合敦先生の『新歴史』の講義。
 佐藤芹香先生は、『肥満遺伝子』の研究者。その人の持つ遺伝子なりの、痩せる方法を伝授してくれる。
 「へ〜っ」と唸ってしまう三つの講義を受けたのは、堺正章さんが校長を務める『世界一受けたい授業』(日本テレビ系・九月三日放送)でのこと。
 番組では毎回ユニークな講師が登場し、様々なジャンルを斬新な切り口で講義してくれる。
 楽しい授業は、「なんで、なんで」「どうして、どうして」と自然に身が前に乗り出してゆくものだ。
 だが、決して向学心に燃えていたとは言えない僕にとって、大学の講義は退屈なものだった。階段教室に閉じ込められた九十分間を、海の底へ沈んだつもりで、じっと耐えていた。
 それにしても、一コマ九十分という大学の講義時間というのは、少し長過ぎるのではないだろうか。
 最近、僕は講演会の講師を務めることがあるのだが、九十分間の講演時間では、お客さんが最後には疲れてしまっているように思える。もちろん、僕は九十分間の話が中弛みしていたのではないかと反省するのだが、それにしてもお客さんが、九十分間集中力を保つのは容易ではない。
 せっかく会場に足を運んで頂いたのに、話が一時間では少し物足りない。講演会は一時間十五分がベストだというのが僕の実感だ。
 環境フォーラムのパネルディスカッションに参加すると、各分野の研究者の基調講演を拝聴する。
 『環境工学』、『農業学』、『細菌学』、『海洋学』、『森林学』、『原子力工学』、どの話も襟を正して聞いてみると、不思議に、いや、とてもおもしろい。サボり学生だった僕が授業を受けたと同じ大学教授の話とは思えない。
 ある時、「なぜ大学の授業と違って、講演会の話はおもしろいのか」と教授にお尋ねしたことがある。
 「講演会はその研究分野のおもしろいうところをかいつまんで話している。確かに、通年の授業ではどうしても間延びしてしまうところがある」と、教授は率直に答えてくださった。
 もちろん、授業を受ける側が向学心を抱くことが最重要。そして、教える側も、一コマ一コマに持てる知識の全てを込めて、熱く語ってもらえるからこそ『世界一受けたい授業』が成立するのだろう。
 僕にも、『気象学初歩』を語らせてよ。だって“先生”って呼ばれたいじゃん。


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