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週刊新潮 九月十六日号
「石原良純の楽屋の窓 」
118回
選挙WARS

衆議院議員選開票日の特別報道番組で、安藤優子さんと共に僕がキャスターを務めるのが『FNN選挙WARS』。
 前回は映画『踊る大捜査線』、今回は世界の大ヒット作『スター・ウォーズ』をパロったわけだ。
 特番のテレビ告知では、宇宙空間に六党首の顔が浮かんだところで、オレンジ色の閃光と共に大爆発が巻き起る。“郵政民営化の断行”か、“政権選択”か、二十一世紀初頭の国の針路を決めるヒートアップした選挙戦に相応しい番宣だ。
 でも僕は、ドカーン!を他人事と眺めている場合ではない。なにしろこの選挙戦には、六期目を期す兄・伸晃はもちろん、弟・宏高も前回の雪辱を果すべく参戦しているのだ。
 先日、『笑っていいとも!』のメイク室でタモリさんに「兄さん、弟さんが立候補して、良純クンがその選挙のキャスターだなんて、珍しい家族だね」と声をかけられた。
 だが、政治家の家に育つと、そんなトリプルキャストにも、別段、違和感を覚えない。魚屋さんの家の兄弟二人が魚屋を始め、僕は同じ魚を扱うのでも寿司屋になったといったところか。
 たしかに我が家では、選挙は小さい頃から身近にあった。
 親父が政界に初出馬したのは、昭和四十三年の参院選全国区。小学校一年生の僕は、都電の停留所で宣伝カーのスピーカーが大音量で「石原慎太郎、石原慎太郎」と連呼するのを初めて聞いた。僕は大声で親父の名前が呼ばれるのが気恥ずかしくて、車が遠くに走り去るまで、ずっとうつむいていたのを覚えている。
 当選が決まると、ひっきりなしにお酒やビールが家に届いたのにも驚いた。子供部屋の前の小さな内庭に菰冠りの日本酒、ビールのケースがどんどん積み上げられる。まるで酒屋の倉庫で暮らしているようだった。それでも菰冠りから、ふっと漂う日本酒の香りが、子供心にも心地良い。この頃から僕は、酒飲みの道を歩んでいたわけだ。
 昭和四十七年に親父が参議院から衆議院へ鞍替えするのは、僕ら子供も大賛成。なにしろ、神奈川県逗子市から、東京・天現寺の慶應幼稚舎までは約二時間。旧東京二区の選挙区内への引越しは、通学時間を三分の一に短縮してくれた。
 開票日の夜には、ベッドで「バンザーイ、バンザーイ」のかけ声を聞いた。戦いすんで選挙事務所で勝利の美酒をひっかけた後援者の人たちが、家の近所までやって来たのだろう。今どき、日本酒の一杯でもふるまおうものなら、饗応の選挙違反で捕まってしまう。昔の選挙は大らかだった。
 現職の美濃部亮吉候補に僅かに及ばず、都知事選に惜敗したのは昭和五十年のこと。中学生の僕は、部活が休みの月曜日、下校途中の日吉駅のホームで、友達の誰からともなく「慎太郎が敗けた」と勝敗を知らされた。
 親父の敗戦に僕の感想は特になかった。当時の僕は、子供は子供、親は親。子供が大人の世界に首を突っ込むものではないと、頑に信じていたから。
 その都知事選で、初めて選挙の手伝いをしたのが、兄・伸晃。
 最終日の新宿駅前の街頭演説には、数万人の群集が押し寄せたと聞く。その光景を、中川昭一・現経産相らと共に、学生バイト部隊の一員として目の当たりにしたことも、兄に政治家を志させた一因に違いない。
 高校二年生の衆院選の投票日は台風に見舞われた。僕は大雨も選挙もおかまいなしに、初デートでズブ濡れになりながら自由が丘駅へ向い……。おいおい、ノスタルジーに浸っている場合ではない。選挙、選挙。 
 九月十一日に、兄弟の戦いに、有権者の裁定が下る。   
 ガンバレ伸晃。
 ガンバレ宏高。

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