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週刊新潮 九月二十三日号
「石原良純の楽屋の窓 」
119回
選挙WARS その2

“脱ブランド宣言”。そんな見出しがスポーツ紙の紙面に躍ったのは、衆議院選公示直後のことだった。
 弟・石原宏高は、前回、初挑戦の選挙戦で、父・慎太郎や渡哲也さんをはじめとする石原軍団の皆さんに、あらん限りの応援を得た。しかし、候補者自身がその華々しさの中に埋没、落選の憂き目をみた。
 そこで今回は、その教訓を元に、親父や軍団の応援を一切受けずに選挙戦を戦い抜くというのだ。
 都知事や渡さんの応援を断る候補が、日本のどこにいる。宏高の行く末は大丈夫なのかと、選挙特番記者の僕は、早速、遊説中の宏高候補を追って、品川・青物横丁商店街へと向った。
 宏高が戦う現・東京三区(品川区・大田区北西部)は、親父が十年前まで地盤としていた旧・東京二区の一部。そんな街に出かければ、その昔、親父の選挙でお世話になった懐かしい顔にもお会いする。
 ペコリと頭を下げるお辞儀では駄目。相手の目をちゃんと見て、一度、背筋をピンと伸ばしてから、ベルトのラインで体を折り曲げて、きっちり九十度頭を下げてこそ、初めてお辞儀は成立する。それは、選挙の家で育った半ば習性というものか。
 違った。違った。今日は選挙運動に来たのではない。『フジテレビ報道』の黄色腕章をキリリと巻き直して候補者の元へ取材に向う。
「改革断行に……」メガホンのスローガンに一拍遅れて「Yes!」と声を張り上げる宏高候補。声と同時に下手投げにサッと握られた拳は、演歌歌手のようにも、昔懐かしい巨人の城之内投手のようにも見えた。
 候補者を囲むスタッフも、親の人脈丸抱えの前回から大幅に若返り、ちょっと気恥ずかしく思える遊説スタイルも、自分達で研究したのだという。それでも、街行く人の反応は、大概、好意的だった。
 マイクを向けて脱ブランドの真意を質すと、「親父の応援は受けません」とピシャリ一言。口をギュッと結び、両目でキッと僕を見据えるこの男には、思い込んだらやり通す、かたくなというか、一本気なところがたしかにある。
 息子の一方的な宣言で、応援に出るに出られない親父に、見てきたままを報告するのが、政治家の長男と三男に挟まれたフリーランスの次男の役目。
 そんな僕の報告に、親父は「あいつは頑固というか、バカだな」と言いながら、宏高の政治家の卵としての成長に満足気な様子。最後のどのタイミングで息子を助けてやるか、と独り思いを巡らせていた。
 不吉な前兆が起こったのは、選挙戦終盤のこと。
 ウチの長男・良将が、朝のラジオ体操の帰り道、僕がちょっと目を離した隙にマンション前のコンクリート池に落ちたのだ。
 水飛沫と共にワーッと泣き声が上がる。黄色いTシャツを着た良将が水面でのた打つ姿は、過日、都心の集中豪雨で氾濫した善福寺川から、道路に溺れ出た金色の鯉にそっくりだった。
 池に落ちる。“落ちる”はやっぱり選挙中は禁句だろう。僕は良将クン人生初の水難事故の顛末を心に秘めて、選挙が終わるまで誰にも口外しないことにした。
 そんな僕の思いが杞憂に終わったことは、選挙結果から言うまでもない。親父の出番も結局なかった。
 投票日の晩、僕がキャスターを務める『FNN選挙WARS』には、当選が決まった宏高事務所から生中継。親父とも家から電話で継った。
 でも、番組のこの画面構成はおかしくないか。なんで僕が真ん中のちっちゃな画面なんだよ。
 お〜い宏高。十四万もの人に自分の名を書いてもらって活躍の場を頂いて、正念場はこれからだぞ。
 だから、大きな画面は、兄に譲れよ。

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