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週刊新潮 十一月十六日号
「石原良純の楽屋の窓 」
127回
平家ガニ

潜水艦の防水区画のような厳めしい鉄扉をくぐって橋脚の中へ入る。大人四人が乗ったらギュウギュウ詰めのエレベーターで約二分。さらに、ほぼ垂直に近い鉄の階段を三階分昇ると、『関門海峡大橋』の橋脚の天辺に到着した。
 関門海峡をひと跨ぎする吊り橋を支える二本の橋脚は、高さ約百四十メートル。見上げると電信柱の先っぽほどにしか思えぬ橋脚の天辺が、実際は意外と広い。三十畳敷の中広間といったところか。
 安心、安心、とデッキに歩み出たまでは良かったが、鉄柵から下界を覗いた途端に血の気が引く。遥か下界を上下六車線道路が一直線に延びる。ヒュンヒュンと駆け抜ける車は、子供の頃に遊んだレーシングカーのようだ。
 さらに、そのまた遥か下には、関門海峡の怒濤の流れ。この日は大潮にあたり、潮速がピーク時には、九ノットにも及ぶ。時速に直せば、約十七キロ。それはまさに、海と呼ぶより大河の流れと呼ぶのが相応しい。
 ざわめく波音、走り抜ける車の音、そして頬を切る風の音。眼下に拡がる大パノラマに光と音が交錯して、次第に頭が揺れ始める。つま先に重心がかかったところでハッと気づいて、手摺を力一杯握りしめた。
 生命の危機を顧みず、僕が関門大橋の天辺に立ったのは、『源平合戦ミステリー』(テレビ朝日系・中国四国のみ二十日夜放送)で、平家終焉の地・壇の浦の海をこの目で確かめるためだ。
 番組は、平清盛が造営した宮島・厳島神社からスタート。夜の海にライトアップされた大鳥居を舟でくぐると、往年の平氏の栄華が八百年の時を越え、僕の脳裏に甦る。平清盛のその顔は、今年の大河ドラマそのままに、渡哲也さんに思えてくるから不思議だ。
 香川県屋島では、那須与一にならって舟の扇の的に矢を放つ。大河ドラマで、源範頼役の僕は、義経役の滝沢秀明さんと弓術で汗を流すシーンがあった。殺陣師にその場仕込みの僕は、なかなか思うように矢を放てない。揺れる的、砂浜を吹く潮風に、僕の矢はどこへ飛んで行くことやら。
 愛媛の深い山あいには、義経に追われた安徳天皇が隠れ住んだ御座所があったという。天皇をお守りした平氏の末裔と共に、三種の神器の隠し場所に迫る。
 広島の平家落人集落には白い花も咲かなければ、白い鳥も降り立たないという。なぜならば、源氏の“白”はご法度だから。神社の垂も、平氏の赤、そこに生える苔も赤い。
 そして、最後に訪れたのが関門海峡の壇の浦。
 この時代の鎧は、上級武士になればなるほど華麗な大鎧。端午の節句のお飾りはいいが、装着するのに三人がかりで三十分、一日着たら、確実に背が一センチは縮むという代物だ。
 おかげで、大河ドラマの合戦シーン撮影日の控え室は静かなものだ。皆、やどかりのようにじっと出番以外は動かない。なにしろ、体力を温存しておかないと一日もたないから。
 数十キロの装備をまとい挑む海戦は、まさに決死の戦だったに違いない。その戦を左右したのが潮の流れと言われている。
 僕らも橋脚を降りて怒濤の流れに舟で乗り出す。潮が渦巻き、ひっきりなしに通過する大型船の曳き波で、僕らの舟は上下左右に揺すられた。果して、こんな激流の中で本当に戦が出来たのだろうか。
 なぜ、義経は平氏を滅ぼせたのか。謎、謎、謎の源平ロマンを解き明かす旅をお楽しみに。
 それにしても、大河ドラマでは平氏はすでに海に蹴り落とされて、すっかり平家ガニになってしまった。でも、壇の浦以後、私こと範頼はNHKからお呼びがかからない。
 その後の僕は、どうなってしまったの。

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