週刊新潮 十二月二十二日号
「石原良純の楽屋の窓
」
132回
ナイルで考える
「お節もいいけど、カレーもね」
ちょっと懐かしいテレビのコマーシャルではないが、お正月休みのおめでた番組に飽きた方にお薦めするのが、元日の夜の『未知なるナイルの旅』僕は、この番組のナビゲーターを務めている。
ただ、問題点を挙げるとするならば、番組がBS放送であるということ。BS放送は、今ひとつ巷に浸透していない。かく言う僕自身も、六月の引越しでパラボラアンテナをほかしてしまった。
番組収録が行われたBS朝日は、原宿から北参道へ向う明治通り沿いにある。若者で賑わう原宿を離れ、めっきり人通りの少なくなった辺り、緑豊かな神宮の杜を背景に佇む局舎の前には、“ここは放送局です”と書かれたのぼりがズラリと並んで、北風にはためいている。
メークさんからの情報によると、最近まで行われていた『徹子の部屋』の収録もテレビ朝日本局へ移り、BS局のメーク室が使われる頻度もグンと減ったとか。
ガンバレ!BS放送。僕もこの開局五周年番組出演を機に、アンテナを買って来てBSに再加入しなければなるまい。
イギリス国営放送BBCが総力を結集し、制作したドキュメンタリーは、知られざるナイルの姿を明らかにしてくれる。
ナイル川は世界最長の河。その全長は、七千キロにも及ぶ。一年に一度、大洪水を引き起こす河の流れは、人々の喉を潤し、肥沃な土を運んで砂漠を耕地に変え、四大河文明の一つ、エジプト文明を育んだ。
古代エジプト人は、南北に流れるナイル川を、天の恵みをもたらす宇宙の中心と考えた。
東の空に昇り、西の空へ沈む太陽は、頭上の天空の海を旅する太陽神ラーの乗る舟。
一日の昼と夜の繰り返しを、誕生、死、そして再生の象徴と見なしていたのだ。
南北、東西の二つの軸の交わり、その中心に暮らす人々は、自然の営みを恐れ、敬い、身近に繰り広げられる未知なるものすべてに神の姿を見ている。
あやういバランスの上に成り立つ自然は、干ばつ、飢餓、害虫の大発生、と時には過酷に人間を苦しめる。そんな神々の怒りを鎮め、太陽神ラーをはじめとする神々と直に接し、自然秩序を回復させることができるのが、エジプトの王・ファラオの存在だった。
ピラミッドなどの巨大遺跡は、強大な権力で民衆を抑圧する王の権威の象徴として造られたのではなく、神々と人間との橋渡し役をしてくれる王への畏敬の念の現れというわけだ。
ファラオが神々と語り合い、真夏の灼熱の渇水から民を救うべく一年に一度起こすナイル大洪水の奇跡。
しかし現代人の我々は、河の源が熱帯のジャングルに覆われたアフリカ中央の巨大な湖から流れ出る白ナイルと、急峻なエチオピア高原の大地に端を発する青ナイルであることを知っている。そして大洪水の正体は、エチオピア高原に吹き寄せるインド洋からの湿潤な季節風がもたらす大雨であることも解明している。
だが、科学が自然の謎の全てを解き明かしてしまう今の暮らしは本当に幸せなのだろうか。自然を恐れ、敬い、自然=神と、もっと身近に暮らしたならば、地球温暖化はきっと起こらなかったに違いない。自然の神秘の中に神々の姿を見た古代人の暮らしが、だんだん羨ましくも思えてくる。
番組を観て、人類の行く末をじっくり考えるのも、新たな年の門出に相応しいのでは。
おっと、新年の前にお節の用意をしなくては。正月早々、カレーばかりを食べてはいられない。
年末の掃除も料理も手伝わない僕は、中国飯店に中華お節を買いに行く。
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