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週刊新潮 二月十六日号
「石原良純の楽屋の窓 」
138回
祝・金婚式

「自分に夫としての点数をつけるなら七十点」
 エーッと疑問符とクスクス笑いが会場に起こる。
「妻に点数をつけるなら百五十点」
 ウン、ウンと皆が頷く。
 去る一月三十日、ちょうど五十年前の父と母の入籍日を記念して、家族と親しい友人を招いて“慎太郎・典子の金婚式を祝う会”が催された。そのパーティーのスピーチの中で、親父が自ら夫婦を採点したのが先程の点数だ。
 でも、これって何点満点なのだろうか。親父の七十点は、百点満点の七十点とは会場の誰もが納得いかない様子。母親をヨイショするにしても百五十点とはいささか半端な感じ。どうせなら倍づけして、二百点とでも言っておけばよさそうなものだ。
「本来、自由人である夫が家族のためにいろいろと我慢してきてくれた」
 一方、母親はトンチンカンな挨拶をする。たしか新婚旅行先の熱海で芥川賞の報せを聞いた親父は、新妻ひとりを旅館に残して東京へとって返したと聞く。“いろいろと我慢”とは、誰が何をどう我慢してきたのか、現代人の僕にはさっぱり分からない。
 友人を代表して乾杯の音頭をとるのは、一橋大学の同窓生でもある、首都大学東京の高橋宏理事長。氏は、五十年前の如水会館での披露宴でも、友人代表としてスピーチしたのだそうだ。
「今は新進気鋭の作家として世間の注目を集めている慎太郎君。だが、マスコミなんて非情なもの、落ち目になったら見向きもしない。そんな時には、我々仲間が力になる」
 話を終えて席に戻ると、これまた気鋭の映画プロデューサー水の江滝子女史に「貴方、若いのにしっかりしてるわね」と褒められたという。
 五十年前の新郎の親父は、一橋大学在学中の二十三歳。母親は十八歳。青雲の志に満ちた仲間も皆、若かった。
 昭和三十一年といえば、日本が国連に加盟した年。東海道本線が全線電化された年。コルティナダンぺッツオの冬季オリンピックで猪谷千春がスキー回転で銀メダルを獲得し、冬季五輪の日本初メダリストに輝いた年。
 もうすぐ始まるトリノ五輪で日本期待の佐々木明選手が回転でメダルを獲れば、日本アルペン競技史上五十年ぶり二人目のメダリストとなるわけだ。
 いずれにせよ、五十年前は遥か昔のこと。その五十年を二人とも元気に暮らしてこれたことは、物凄くおめでたいことだ。
 その金婚式のパーティーを子供ら四人で企画するというのだから、親父はフンフンと大人しく宴が始まるのを待っていてくれさえすればいい。ところが「あの店は嫌だ」「そんな料理食えるか」と注文が多い。
 最近、親父がお気に入りのレストラン、代官山『リストランテASO』は現在改装中。その姉妹店、銀座『アルジェントASO』も当日は定休日。にもかかわらず、代官山店より銀座店へわざわざシェフを招いて、開催の運びとなった。
 流石に銀座は日本の中心地。ファッションビルの八、九階をブチ抜いたお店は、鏡と照明が織り成す光と影のエレガントな佇まい。ワインの量を過した僕なら、階段から転げ落ちてしまいそうだ。
 口うるさい親父も、満足してくれた様子。最後にはお店が用意してくれた金色の金婚式ケーキに、五十年前の披露宴ではやらなかったという母親と手を取り合ってケーキ入刀までしてみせてくれた。
 結婚五十年で金婚式。僕が結婚したのは四十歳だから、九十歳で金婚式となる。“いろいろ我慢”してはストレスが溜って早死する。我慢しなけりゃ夫婦関係は破綻するのが今の世のならい。僕が金婚式を迎えるのは、前途多難のようだ。

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