週刊新潮 二月二十三日号
「石原良純の楽屋の窓
」
139回
踊っちまったじゃないか
屈伸して、体を捻転して、アキレス腱を伸ばして・・・・・・・。
準備体操するのは、何も運動する前に限ったことではない。芝居の前、特に大声でセリフを叫ぶ時には、入念に体をほぐし、筋肉を暖めなければならない。
以前、『スパイ・ゾルゲ』(二〇〇三年・東宝)で、二・二六事件の青年将校の僕がセットに入ると、反乱軍将兵のエキストラの動きも、クレーンカメラのタイミングも、すでに準備万端整っていた。あとは指揮官役の僕が号令をかけるだけ。将兵、スタッフが入り乱れ駆け回る現場のテンションにすっかり高揚した僕は、一回目のテストから思いっ切り大声を張り上げた。
それはアイドリングなしで、いきなり車をフルアクセルで走らせるようなもの。エンジンがぎくしゃくするように横隔膜が思うように動いてくれない。その結果、声を増幅させる負担はすべて喉にかかってしまう。
ほんの台本一頁のシーンで、セリフを二つ三つ叫んだだけなのに、撮影の終りには、僕の喉はカサカサに乾いて哀れなかすれ声になっていた。
生死を賭けた戦場で指揮をとるためには、いつ何時でも部下全員に命令が行き届くような大声を腹から捻り出せねばならない。戦国武将と同様に軍人たるもの日頃の修練は並大抵のものではなかっただろうと思い知った。
そして芝居の前には準備体操。以来、僕は撮影前には必ず体を動かす。ストレッチは、つかこうへい劇団仕込みのバレエダンス式。発声は、劇団四季式にスタンダードナンバーの歌唱レッスン経験をミックスした僕のオリジナル。
傍目にはみっともない格好して奇声を発しているように見えても、本番にはちゃんとアイドリング効果が現われる。いくら大声を出しても声はかれなくなるものだ。
さて、この日の僕の出立ちは、裏地が緋色マントの陸軍将校ならぬ、真っ黒なカラス・ルック。
カップ焼そばのコマーシャルに登場した僕は、あまたの部下ならぬ、ホカホカ湯気を上げる焼そばに向かって怒鳴り声を上げた。
画面は“青年の主張”さながらに汗ほとばしる僕の顔と焼そばのカットバック。そこに七秒半でセリフを畳みかける。
「“昔ながらのソース焼そば”は、Wソースなんだよ。だから、うまみがあって香りがいい。
よ〜し縁起が良いから踊るか。
踊るわけないだろ」
前半の二つのフレーズが、商品説明。後半の二フレーズは、自分がボケをかまして、そこに自分で突っ込みを入れる、いわゆるお笑いの世界でいうところの“ノリ突っ込み”。僕はノリ突っ込みをテレビコマーシャルで初体験してしまった。
しかし、撮影で一番苦労したのは焼そばを食べるカットだ。コンテ割りでは一・五秒で威勢よくツルっと食べることになっているが、見た目に美しく焼そばを食べるのは容易ではない。
ツルっといったと思っても、長い麺が一本だけ箸に絡みついてNG。麺が全て上手く口の中に収ったと思っても青のりの破片が飛んで口のまわりにへばりついて、またNG。
あらかじめ箸に麺を絡めておいたり、麺の長さをはさみで切り揃えてみたり。いろいろ工夫を重ねてもなかなか上手く食べられない。終ってみればテイク四十、焼そば二人前を完食してしまった。
十五秒のコマーシャルで最後のカットは、商品のパッケージの大写し。その画面の端で黒装束の僕は、なぜかやっぱり踊っている。その踊りのなんとリズムはずれなことか。つか劇団でのバレエダンスレッスンを人に疑われてしまう。
でも、それが監督の演出意図。調子っぱずれがコンテ通りなのです。
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