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週刊新潮 三月九日号
「石原良純の楽屋の窓 」
141回
二十年ぶりの大ピンチ

 「あのー…大はら・こ・ち」
 竹中直人さん扮する大原コーチを呼び止めようにも声が出ない。鼻カゼが声帯に転移した僕は、絶体絶命の危機を迎えていた。
 深田恭子さんとの車内シーンはもっと悲惨だった。僕の口から出るのはハフハフ嗄れ声だけでセリフになりゃしない。深キョンのセリフにだぶらぬように、とにかく口だけ動かす。こうしておけば録音部さんに泣きついて、僕のセリフは、後日、アフレコ扱いにしてもらえる。
 夕方の天気予報でも、視聴者の皆様に多大なる御迷惑をおかけした。
 カゼっぴきのウェザーキャスターは、カゼを逆手に取ってその日のテーマを“カゼに気をつけましょう”にしようと思いついた。インフルエンザ警報マップや気温・湿度とウイルス活性化の相関関係やらを紹介する。しかし、その図表を説明する僕の声が聞こえないのだから、観ている人は何の事やらさっぱり分からなかったに違いない。
 せめて予報の部分だけでも精一杯の大声を、と腹に力を込めて一音一音を喉からひねり出す。それでも、番組終了後、横に並んだ西山喜久恵アナから「余りにも苦しそうだから、途中で代わってあげたかった」と同情される始末だった。
 天気予報に携わる者の常として、“天気予報は分かり易く、正確に”がモットーの僕は、まったく恥ずかしい限りだ。
 これだけ声が出ないのは、二十年ぶりのことだ。
 京都・南座に出演中の僕は、インフルエンザで大発熱した。薬と点滴で舞台に立つことはできたものの、からっきし声が出ない。スタッフ、共演者、そしてなにより、観客の皆さん、と大勢の方に迷惑をかけた苦い思い出がある。
 それは正しく若気の至り、義経さんと同じ。初めて長逗留した京の都に浮かれた僕が、夜な夜な酒を過したからだ。「こんなに酒が飲めたっけ」と思っているうちに、慢性二日酔いと睡眠不足がたたって大カゼをひいていた。
 以来、無理の効かない石原家体質を悟り、皆さんに迷惑をかけてはいけぬ、と僕はすっかり改心した。
 だが、今週はどうにも調子が悪い。確かに数日前から鼻カゼの兆候はあった。ならばそんなもの、汗と一緒に体から吐き出してしまえ、と毎朝のジョギングを欠かさなかったのが災いしたのだろうか。木曜日の朝、熱もなければ頭も痛くないのに、突然、声が出なくなってしまったのだ。
 声が出ないというのは、全くもって不便だ。人にものも頼めなければ、ちょっと良いことを思いついても人に伝えられない。
 普段なら軽口を叩き合い会話が弾みそうな場面に遭遇しても、避けて通らなければならない。相手の言葉に一言も言い返せないストレスに、僕は耐え難い。
 ならばこれを機に、寡黙な男、無口でどこか影のある男を目指すのもいいかもしれない。“健さん映画”ばりに、男は背中で語ればいい。
 でも僕は、“目は口ほどにものを言わない”ことも知っている。
 以前、イタリア・ローマのスポーツクラブで、たっぷり汗を搾った僕は、ドリンクバーで搾りたてのオレンジジュースが飲みたかった。だが、“una spremuta di arancio”が言えなくて、仕方なく、いつも“acqua minerale”と水ばかり注文していた。
 さて、現在撮影進行中のドラマは、『赤い奇跡』(TBS系今春放送)。深キョン扮する天才スケーターのラブストーリーなのだが、このドラマ、少し変だ。
 なんで、僕が深キョンの継父さんなの。なんで、恋人じゃないの。こうなったら深キョンの恋路を徹底的に邪魔してやる。
 あれ、僕の役柄ってそんなだったっけかな。

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