週刊新潮 五月三日号
「石原良純の楽屋の窓
」
149回
大プラレール
♪プーラ プラプラ プラレール プーラ プラプラ プラレール♪
青いプラスチックのレールの上を、三両編成の列車がジジジと音をたてて駆け廻る。プラレール遊びは、子供の僕が最も熱中した遊びだった。
まずは絨毯の床を眺め、その日の路線計画を策定する。基本となるのは中央の環状線。東京の山手線にしろ、大阪の環状線にしろ、鉄道網の中心は丸い輪っかの環状線と相場は決まっている。そこにポイントを設置して、線路を枝葉のように延ばしてゆく。
青いプラスチックの線路は、両端の凸凹部分を組み合わせて継ぐ。凹の枝の数と、凸の枝の数が揃わなければ、線路のどこかが行き止まりになってしまうのだ。一度、列車が走り始めたら、全ての線路をくまなく走破できるように計画するのが、弟二人を率いる主任設計技師である僕の腕の見せどころだ。
同時に何台もの列車を動かす時には、一つの場所に列車が集まり過ぎぬように工夫するのも、技師の腕。立体交差や複線化によって、効率良く、かつ安全な列車運行を目指す。
列車が接触事故や脱線事故を起こすことなく、蟻ん子の巣のように複雑に張り巡らされた青いレールを動き廻るのを眺めた時、大きな達成感と共に、その日のプラレール遊びは大団円を迎える。
日頃は後片付けが嫌いな子供でも、プラレール遊びだけは別だ。青いレールを持ち上げてバラバラに引きちぎれば、街で暴れ廻るウルトラマンの怪獣になったようにも思えてくる。
そんな、とてもとても懐かしいプラレールに再会したのは、昨年のクリスマスのことだ。
子供にプレゼントでもと覗いたおもちゃ屋の入り口に、ずらりと並んでいた。懐かしのコマーシャルメロディが頭に浮かぶ。ウチの長男・良将クンは二歳。プラレールの遊戯対象は三歳児以上と書いてあっても、もう誰にも止められない。男の子はプラレールで遊ぶものと、僕の独断専行でプレゼントは決定された。
約四十年ぶりのプラレールは、列車の型こそ新しくはなっているものの、青いレールも、高架橋も、トンネルも、昔のまま。
大きな進歩といえば、山手線車両が「次は新宿、新宿」とアナウンス音を上げたり、SLがシュッポッポッと音を立てる音響効果が加味されたぐらいのもの。
しかし、この変化の無さこそ、いかにプラレールが昔から完成された玩具であったかを証明している。
その証拠に、クリスマスプレゼントは大成功。プラレールは良将クンの大のお気に入りとなった。
だが、残念なことに女性は線路作りが苦手なようだ。ウチの奥さんは、線路一本を継ぎ合わせるのも覚束無い。というわけで、プラレールは僕がいる週末だけのイベントとなった。
週末に僕の顔を見ると、良将クンはプラレールが収納してある納戸を指差す。僕が棚から箱を下ろせば大きな拍手。線路が完成するまでじっくり待って、列車が動き始めれば「スゴ〜イ」を連発する。
彼のお気に入り“ミンミーッ”は、新幹線のぞみ。“エッぺッぺ”は、成田エクスプレス。プラレールは彼の言語トレーニングに役立っているようだ。
そんなプラレールが“僕の最近のお気に入りグッズ”として紹介されたのは『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系・四月二十九日昼)。スタジオに設えられたプラレールで、僕は番組そっちのけで遊んでしまった。
後日、そのセットが番組からウチに送られてきた。
なんだか、物凄く得した感じ。一番喜んでいるのは、良将クンではなく、僕なのかもしれない。
今や我が家は、“大プラレール”と化した。
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