週刊新潮 五月二十五日号
「石原良純の楽屋の窓
」
151回
リスのゲップ
「あっ、おはようー! 俺チッチ行きたい」
冬眠から目覚めたばかりの僕は、尿意を催し、ヒュン! と駆け出す。なにしろ僕は、リスなのだから。
まさか、着ぐるみ着込んでリスを演じているわけではない。
『来た球を打つ』がポリシーの僕は、仕事の依頼を大概は断らないが、着包みとかぶり物と歌の仕事はお断りすると決めている。
僕がおっちょこちょいでお調子者のリス・ハミーを演じたのは、映画『森のリトルギャング』の日本語吹き替え版でのことだ。『シュレック2』や『マダガスカル』で有名なドリームワークスのアニメーション最新作は、夏休みの八月五日に全国一斉公開される。
春がやって来たばかりの森に、風来坊のアライグマRJが現われて物語は始まる。RJの声を原版ではブルース・ウィリスが、日本語版では役所広司さんが演じている。
森の仲間たちと流れ者のアライグマ、そして、動物たちが冬眠している間に森を取り囲むように造成された宅地の人間とで、食べ物を巡る愉快なバトルが繰り広げられる。
声優初挑戦の僕にとって、収録は物珍しいことばかりだった。
まず、録音スタジオで映し出される映像が白黒だったこと。その上、絶えず斜線が登場人物の上を横切る。画面の中央には“TOHO”の文字がお札のすかしのように入っている。セリフのきっかけにリスの口元を注視しようにも、画像は暗いわ、障害物は多いわ、見にくいこと極まりない。そればかりか、時にリスの居所さえ見失ってしまう始末だ。
しかし、これ等は全て海賊版予防のため。万が一、ビデオが流失した場合でも、出所が分かるようにすかしや文字が画像に記されているのだ。キャラクターの肖像権を守るために、ここまでやるか。“さすがはハリウッド”と唸ってしまう。
本来のキャラクターの特色を損なわぬように、吹き替えの制作にもかなり詳細な指示が本国からある。セリフの翻訳はもちろん、声優の声のトーンも原版をなるべく忠実に再現するよう要求されている。
録音は一人ずつ個別に行われた。慣れた声優さんならば、大勢が同時にアフレコが可能だが、僕のような初心者は、ひとりの方が楽なのだそうだ。
大画面モニター前のスタンドマイクに、僕は片手に台本をかざして立つ。ヘッドフォンからは、英語のセリフが流れてくる。
一シーンを一気になんて欲張らない。リスの動きと口元、そして、画面左上のタイムコードの秒数表示から、話し出しのきっかけを習得する。
お調子者のリスは、高い声でペラペラと早口にまくしたてる。あれっ、これって僕は意外と得意かも。
長いセリフをしゃべるのは無論のことだが、一番苦労したのは、ゲップだ。
はしたないリスちゃんは、やたらと皆の前でゲップする。なかなかうまく音がでない僕は、ゲップの収録はすべて後まわし。最後に炭酸を買って来てもらい、まとめ録りをしてもらった。ゲップ、ゲップと飲んだ炭酸は一リットル以上。お疲れさまの頃には、ポッコリお腹が膨れていた。
この作品、原作は人気コマ漫画なのだそうだ。森の仲間と流れ者の友情劇にとどまらず、森の新しい隣人である、人間世界ともうまく共存しようとする森の仲間の逞しさが楽しく描かれている。何気なくていながらしっかりした物語展開はさすがハリウッドの脚本と、また唸らされた。
それにしても、日本語版制作者の誰かが、「僕をリス役にぜひ」と推薦してくれたそうなのだが、なんで僕がお調子者のリスなのか。
日頃の僕って、テレビにどんな感じに映っているわけ。心配になってしまう。
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