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週刊新潮 六月十五日号
「石原良純の楽屋の窓 」
154回
「ヨシズミ〜」と呼ばれても

「ヤブ、ヤブ、ヤブー」
 「ヒカル、ヒカル」
 一旦、収録が止まれば、演者は休憩、観覧者も休憩のはず。ところが『Ya―Ya―yah』(六月十一日昼・テレビ東京系)の収録現場は違っていた。
 スタジオには、百人の観覧者の黄色い歓声が響き渡る。中学・高校の女の子が、それぞれお目当ての出演者の名前を連呼して、手を小さく振り続ける。運良く視線が交わりジャニーズJr.のメンバーに微笑みかけられようものなら、声はさらに二オクターブは高くなり悲鳴に変わる。
 僕の横に並ぶレギュラーメンバーは、実に若々しい。最年長は、進行役を務める小山慶一郎クン二十二歳。現役の大学四年生だ。
 そういえば、僕も大学四年時には『西部警察』で新人刑事をやっていた。
 しかし、周りは渡哲也さんに舘ひろしさんと大人ばかり。いつも集団の最後尾にくっ付いていた僕と、座組の真ん中の司会者とではえらい違いだ。
 この日のVTRで、江の島へ取材に出た八乙女光クンは、十五歳の高校一年生。八人の中では最年少だ。
 ロケVTRを見ながら内容を説明する光クンに僕が話しかけると、彼は一瞬、目を合わせたが、直ぐにスッと視線をはずして解説を続ける。
 このあたり、『スーパーニュース』のお天気コーナーで解説の途中に話しかける安藤優子さんを完全無視する僕と似ているかも。
 いいのですよ、光クン。周りに惑わされず、自分の役目を続けるあなたの姿勢は、間違っていません。
百人の女の子の中には、ゲストの僕を気遣って、僕に声をかけてくれる奇特な方もいらっしゃる。
 しかし、中学生や高校生の女の子から「ヨシズミ、ヨシズミ」と大声で呼ばれるのは何か落ち着かない。
「大人を呼びすてにするんじゃない」なんてヤボは申しません。僕はデヘヘと笑顔を作って手を振り返す。それでも、できたら次は、「ヨシズミさん」と呼んでもらいたいものだ。
 「イシハラ」と新橋演舞場に声が響いたのはもう二十年近くも前、僕が新派の公演に参加した時のことだ。その声は高く短く一秒間、そんな声の掛け方が、新派の“大向う”の特色なのだそうだ。
 歌舞伎では、松本幸四郎さんは「高麗屋」、中村勘三郎さんは「中村屋」と屋号で声が掛かる。新派では、水谷八重子さんは「ミズタニ」、波乃久里子さんは「ナミノ」と名字で呼ばれることもその時初めて知った。
 昼夜公演の合間、僕がゴロリと楽屋で横になっていると「御免下さい」と声がする。振り返ると暖簾の向うに見知らぬ老人が立っていた。
 身なり正しく笑顔の老人を僕は、最初、人違いで僕の楽屋を訪ねてきた方なのかと思った。だが、そんな様子でもない。ならば、劇場の楽屋に出入りできるのだから、きっと、新派の御贔屓筋なのだろうと思い込み、丁寧に対応して、お帰しした。
 後で聞くと、あれが“大向う”さん。役者が御祝儀を渡して芝居を盛り上げてもらうのだ。何も知らない僕が、反対に御祝儀をせびらずによかった。
 大劇場では役者への掛け声が芝居のムードを盛り上げる。ところが、いらぬタイミングに声を出す初心者の“大向う”はやっかいだ。役者は舞台の上でつまずきそうになったり、セリフが止まってしまいそうになったりする。
 声を掛けるのは芝居と役者のクセを熟知してから。演者同様、“大向う”にも年季が必要なようだ。
 「ヨシズミ〜」「ヨシズミ〜」目の前で女の子達が手を振ってくれる。
 この子ら、きっと演舞場だろうが、歌舞伎座だろうが、どこでも元気良く声を出すに違いない。

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