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週刊新潮 六月二十九日号
「石原良純の楽屋の窓 」
156回
ササキ博士の笑顔

オクラホマシティーの天気は快晴、最高気温はなんと百度。華氏百度は、摂氏に直せば三十八度にあたる。
 『素敵な宇宙船地球号』(テレビ朝日系・日曜夜)のロケで訪れたグレート・プレーンズ(中西部大平原)のド真ん中、オクラホマシティーは、この時期としては一九五三年以来という記録的猛暑に見舞われた。
 三百六十度見渡しても、地平線まで果てしなく平原が続くグレート・プレーンズは、日本のほぼ四倍の広さ。そこには、元阪神のバース選手の牧場をはじめ、無数の牧場と、人間よりはるかに多い牛がいる。
 そして、もう一つのオクラホマ名物がトルネード(竜巻)だ。僕はトルネード研究の第一人者、佐々木嘉和博士をオクラホマ大学に訪ねた。
 現在、オクラホマ大学には、気象に関する様々な機関が集中している。
N.S.S.L.(National Severe Storms Laboratory)は、トルネードをはじめ雷や豪雨を研究する政府の研究所。S.P.C.(Storm Prediction Center)は、ハリケーンを除くアメリカ全土の嵐の予報発表する機関。N.W.S.(National Weather Service) は、地方気象台といったところ。他にも最新気象レーダーの研究施設など、オクラホマはアメリカの気象学のメッカとなっている。
 それは、東京大学の敷地に気象庁や研究機関が集まっているようなもの。大学の学生は高度な研究に携わることができ、研究者は学生を手下に使える。
 そして、研究成果は即、実践に活かされ、研究者は生の最新データを手にすることができる。官民の一体化、研究と実践の一体化が各々の機関に効率の良い運営をもたらしている。
 そんな理想的な研究環境を作り上げるのに尽力されてきたのが佐々木博士だ。
 博士は一九五六年、アメリカの学会に招聘されて、氷川丸で太平洋を渡った。その後、オクラホマ大学の気象学部創設に携ったのが四十六年前のこと。
 日本で台風の研究をされていた先生は、いつ、どこで、なぜ起こるのか分からなかったトルネードの研究に胸を高鳴らせたという。
 トルネードを発生させそうな雲がどこにあるのか。今ならパソコンのキーを一つ叩けば分かるが、当時の情報源といえば公衆電話で連絡を取りあうくらい。あとはカンだけが頼りだったそうだ。
 雲を見つけたとしても、暗黒のサンダーストームの下へ潜り込むのは並大抵の勇気では務まらない。知識も、技術も、お金も不足していた研究当初は、苦難に満ちたものだったと博士は言う。
 五月から六月初旬、グレート・プレーンズの上空では、ロッキー山脈から吹く冷たく乾いた風と、メキシコ湾からの暖かく湿った風がぶつかって巨大積乱雲を発生させる。スーパー・セルと呼ばれるその雲の進行方向の右後ろにトルネードは発生する。これ等はすべて、博士達の努力によって解明された。
 博士の今の気がかりは、トルネードの発生域が北に片寄ってきたことなのだそうだ。三十年前と比べると、より北の州でトルネードが数多く発生するようになった。
 また、海水温度が上昇しているメキシコ湾東部や大西洋沿岸でもトルネードが頻発する傾向にある。トルネードの発生域の変化は、地球温暖化の影響なのか、これから慎重に見守っていかねばならない。
 「まだ、休めそうにありませんね」
 八十歳を目前にした博士は、少年のような笑顔でニッコリ笑っておられた。 
 オクラホマ名物、牛とトルネード。僕はトルネードと出会うことはなかったが、狂牛病なんて話はすっかり忘れて、ステーキを思いっきり堪能してきた。
 ああ、美味しかった。

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