週刊新潮 七月六日号
「石原良純の楽屋の窓
」
157回
フン、バカ兄貴
「おはようございます」
大きな声で挨拶して、元気良く撮影現場入りするのが僕の流儀。
でも、この日のロケ現場はちょっと勝手が違っていた。立派な書院の仏間には、阿弥陀如来と共に、歴代住職の御位牌がずらりと鎮座している。
『超歴史ミステリーロマン2・戦国』(テレビ東京系・六月三十日夜)の収録は、なぜか、芝・増上寺の景光殿で行われた。
本能寺の変、関ヶ原の合戦、三代将軍家光誕生。そんな歴史の一大転機にまつわる秘話は、乱世を治めた徳川家の菩提寺で語るのが相応しいと誰かが考えたようだ。
番組は、激動の戦国の世に生きた英雄たちと、その背後に垣間みえる女性たちの執念をテーマに、歴史の常識を覆す新事実を検証。
司会は、自らも映画やテレビで様々な歴史上の人物を演じ、歴史大好きを自認する高橋英樹さん。
英樹さんの一番のお気に入りは、織田信長。
「希代の創造者であり、破壊者である信長に、興味は尽きない」と言う。
また信長は、演じても一番楽しい人物なのだそうだ。先の世を見透かした信長に負けまいと、目に力を込め演じれば、新しい信長像が英樹さんの中に次々と湧いてくるとも言う。
それにしても、仏様に見つめられながらの収録は、いかにも落ち着かない。
外光を遮るために、雨戸はピシャリと閉められている。畳の上に広げられた緋毛氈に、ライトとカメラ、移動クレーンが据え付けられる。密室の空気は、ライトの熱と人いきれで蒸し暑さを増す。音を立てて首を振る古めかしい扇風機がやたらと有難く思えてくる。
そんな光景は、京都・東映太秦撮影所の時代劇撮影を思い出させる。旅先として訪れる京都は楽しいが、仕事場の京都は楽ではない。
なにしろ夏は、やたらと暑い。時代劇は、羽二重で髪の毛をきっちり密閉しカツラを被る。羽二重の中は汗みどろ。一日の仕事を終えて化粧前で紙テープを剥がすとホンワカ湯気が湧く。
それでも額に汗をかいてはいけない。汗をかけば額の顔料が割れて羽二重の境目が浮き出てくるからだ。
「良い役者は、額に汗をかかないものだ」
昔ながらの職人気質の髪結さんはそう言うと、濡れガーゼを固く絞って応急手当に、ひび割れた僕の額をポコポコ叩いた。
着物だってちっとも涼しくはない。いくら胸元を開いても、いくら袖から扇子で風を入れても、火照った体は冷えやしない。殿様役は、極力肌を露出しない。それが高貴な人物の証。手甲や脚半を巻いたら、もう皮膚呼吸も儘ならない。
「着物は“涼しい”という気持ちで着るものだ」
これまた職人気質の衣裳さんはそう言うと、僕の帯をギュッギュッとしめた。
太秦撮影所で、信長を演じる英樹さんとご一緒したことがある。
僕は信長の弟・信勝役。父、信秀亡き後、信長と家督相続で争うことになる。
信秀の葬儀シーンは京都の立派なお寺でロケをした。遅れてやって来た信長が、位牌に向かって抹香をぶちまける有名なシーン。
僕は、「フン、バカ兄貴」と冷たい視線を英樹さんに送った覚えがある。
十二時間ドラマの二時間半目あたり、早くも信勝の僕は自害するハメになったけれど、たしかに歴史上の人物を演じるのは、その人が見た世界を自分の目で味わうような不思議な楽しさがある。そんな世界を満喫するためにも、いつかは僕も信長をやらなくては。
それにしても、番組収録はやっぱりスタジオの方が良かったのでは。
蒸し暑さに文句を言っている訳じゃない。オンエアを観て、襖絵や木像の目が開きでもしたら、僕はパッタリ倒れるからね。
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