週刊新潮 七月二十七日号
「石原良純の楽屋の窓
」
160回
障害物は“い”のつくもの。
問題。
「タウンページでおなじみのNTTBJ。“BJ”は何の略でしょうか」
♪これっきり これっきり もう これっきりですか♪
♪もしも ピアノが 弾けたなら♪
♪あなたが噛んだ 小指が痛い♪
♪思い出 つまった この部屋を♪
僕がこの五月から出演しているタウンページのテレビコマーシャルは、四パターンある。十五秒間のコマーシャルのうち前半の八秒間は、僕が懐かしのメロディーを絶唱するという極めて斬新なものだ。
一口に八秒と言ってもテレビの八秒はとても長い。ちなみに、『スーパーニュース』のお天気コーナー前のジャンクションは五秒。たった五秒間でも、スポンサー・クレジットの後ろに映る僕は、画面の中でじっとしていられない。カメラの重圧に堪え兼ねた僕は、ディレクターから頼まれもしないのに、その日のスポーツニュースコーナーの登場人物を形態模写するようになった。
イチローの打撃フォームや卓球の福原愛ちゃんの王子サーブなど、視聴者の皆さんに分かりやすいものもある。ところが、荒川静香選手のイナバウアーやジダンのボレーシュートなどは、似ても似つかない。それでも、五秒間ジッとしているより、カメラの前では何かしている方がよほど居心地が良いのだ。
それにしても、まさか僕がテレビで歌を唄うことになろうとは。
ディレクターの狙いは、主人公が鼻歌を唄っているのではなく、歌詞に思いを込めて熱唱している姿。
そんなディレクターの意図をしっかり把握していなかった僕は、いざ撮影という段で困ってしまった。
コマーシャルの撮影現場には、製作スタッフの他にCMプランナーやスポンサーや広告代理店の担当者など、いつにも倍した人間がいる。
全員の視線が集まる中、ディレクターの「用意、スタート」の声と共に、僕は思いっ切り唄い始めた。
♪コレ〜きり これ〜キリ〜ですかぁ〜♪
ブッとディレクターが吹き出した。カメラマンは目を真ん丸くしている。ウチのマネージャーは、アララと顔をそむけ、スタッフの大半はこれから先の撮影進行に思いを巡らせる。
僕はセットの向こうのスポンサー様の表情はうかがい知る術もないが、二十歳の僕なら監督の笑い声に傷ついても、四十歳の僕はめげません。
「撮影が終わらなければ、皆、永遠に家に帰れないからね」と心の中で開き直る。
カラオケのキーが合っていないのだ。山口百恵さんのキーで、男の僕が歌えるはずがない。音響さんに音を半音下げてもらって、僕はさっさと次のテークに臨んだ。
僕の歌声と共に、今回のコマーシャル撮影のネックは”小指の思いで”編に登場する犬のひかりクン。
僕が伊東ゆかりさんの名曲を熱唱する八秒間、彼はジッと僕と向き合っていなければならない。監督は、僕の歌声と同時に、犬の視線にも注意を払う。
しかし、犬相手の撮影は、決して人間の思い通りにいかない。僕の後ろで動物プロダクションの係りが人形やボールを振ったり、僕が手の中にエサを隠し持ったり、手を変え品を変え、策を労す。それでも約二時間、テーク三十で難所のカットをクリアできたのは、ラッキーというべきだろう。
総括すれば、今回の撮影では、二つの大きな障害が立ちはだかった。どちらも、頭に“い”のつくもの。“いしはらの歌声”と、“いぬの目線”。
さて問題の解答です。BJは“番号情報”の略。
今回のCM撮影、これを知っただけでも充分に勉強になった。
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