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週刊新潮 八月三日号
「石原良純の楽屋の窓 」
161回
富士山の高さは?

あ〜っ、寒い寒い。
 体が芯から凍えると、よほどアホな事か、ゴチャゴチャと小難しい事でも考えなければやってられない。
「空気が上昇し気圧が下がれば、空気は膨張して温度が下がる。高度差百メートルで約一度下がるのが乾燥断熱減率」
 あ〜っ、寒い寒い。
「だが、空気中の余分な水蒸気が凝結して潜熱を放出するから、高度差百メートルで約〇・六度の低下。これが湿潤断熱減率。実際の温度変化はこちらに近い」
 僕の頭の中には、気象予報士受験で勉強した高度と温度のグラフが浮かぶ。
 僕が岩陰に身を潜めているのは、富士山頂直下の標高三七〇〇メートルを超える地点だ。
 笠雲にすっぽり覆われた山頂付近は真っ白。闇の世界。霧粒は吹き荒ぶ強風に濃淡をくり返し、時にかすかな太陽の輪郭を宙に浮かび上がらせる。
「わっ」と声を上げた登山客のおばさんが強風にあおられて、登山道脇にうずくまる僕の上にのしかかる。
 人を突き飛ばす風は、どんなに身を屈めていても、僕の体からどんどん体温を奪っていく。
 人が感じる温度は、風速一メートルにつき約一度下がる。この強風下、体感温度は軽く氷点下を下まわる。
 僕がこんなに寒い中でじっとしているのは、中継の時間待ち。フジテレビの夏のお祭り『FNS 26時間テレビ』で、僕は富士山に登るハメに陥った。
 土曜日曜ブっ通し二十六時間の生放送には、総合司会の中居正広さんを中心に、クイズ番組がずらりと並ぶ“史上最大!!真夏のクイズ祭り”。
 僕が参加した“クイズ26”は、日本一簡単な問題だが、答えるのが日本一難しい早押しクイズだった。
「日本一高い山、富士山の高さは?」
 お台場フジテレビで出題されても、スタジオに早押しボタンはない。赤いボタンが用意されているのは、なんと富士山頂だった。
「石原さんには、日本一スケールの大きなクイズに参加してもらいます」と坪田譲治プロデューサーは胸を張る。
 富士登山は、僕にとっては四回目。たしかに、僕は富士山が嫌いじゃない。だから、僕が抜擢されたのか、いやいや陥れられたのか、甚だ微妙なところだ。
 初めて富士山に登ったのは高校一年生の夏休みのこと。友人の父親に富士吉田口の五合目まで送ってもらう車中で僕は、「一生で五度は富士山に登る」と言った覚えがある。その時は皆が、「まさか」と笑ったが、このペースでゆくと僕は、死ぬまでに五回以上、富士山に登るに違いない。
 五度とは言わぬが、僕は一生に一度は富士山に登ることをお薦めする。そして、もう一つがフルマラソン。
 三七七六メートル登っても、四二・一九五キロ走っても、決して人生観が変わるわけではない。山を登れば疲れるし、地ベタを走れば疲れるだけ。それでも、無駄に体力を極限まで使うのがいい。思惑や採算を度外視した行動は、足のしびれと共に体の中に未知なるものを芽生えさせてくれる。
 登る前夜、走る前夜、多くのチャレンジャーは寝つけないに違いない。それは子供の頃、遠足前夜に気持ちが高ぶり眠れなかったのに似ている。大人になってそんなワクワク感は、そう味わえるものではない。
 山頂の僕らへようやく生中継開始のサインが出る。風に吹き飛ばされないように身を低く構えて一歩一歩、頂上を目指した。
 頂上の神社の境内に赤いボタンを発見。
 ピンポーン。
答えようとしたその時、「三七七六メートル」。
 スタジオで中居さんにマイクを向けられたタモリさんが答えてしまった。
 僕の苦労はいったい何だったの。

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