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週刊新潮 八月十七・二十四日合併号
「石原良純の楽屋の窓 」
163回
三の三

ブーン、ピタッ。ブーン、ピタッ。
 草木も眠る丑三つ時、耳元で小さな羽音が聞えては消え、聞えては消え。そして、寝惚け眼の僕は気がついた。額が痒い。指で摩ってみると肌がプックリと膨らんでいる。刺された。寝室に蚊がいる。 
 平年よりも十日遅い梅雨明けとともに、ウチに蚊の季節がやって来たのだ。
 蚊の発生時期は、梅雨前から十月、十一月まで。そして、蚊の活動が最も活性化するのは、夏本番を迎えた今の時期に違いない。                                                                       
 日本に約六十種類いる蚊の中で、都内にいるのは、アカイエカ、チカイエカ、ヒトスジシマカの三種なのだそうだ。
 白と黒のシマシマ模様のヒトスジシマカは、いわゆる“やぶ蚊”と呼ばれる蚊の代表。竹の切り株や落ち葉に溜った水、空き缶、古タイヤなどの小さな水溜りで発生する。
 京都で時代劇を撮影した時のこと。洛西の竹やぶで忍者軍団を相手に立ち廻りをしていた僕は、それは大きなやぶ蚊に刺された。
 大きなやぶ蚊は体に止まるのが分かる。そいつは、ブチュッと針を突き立て、着物ごしに僕の血を吸った。
“立派な竹やぶが立派なやぶ蚊を育てる”と、僕は千年の都で学んだ。
 昼間、木陰や草むらで人を襲うのが、ヒトスジシマカなら、夜行性で家の中に侵入し人を襲うのが、アカイエカ。
 なるほど、マンションの周りの植え込みで見かける蚊にはシマシマ模様があるが、部屋の中で出くわす蚊にはシマがない。それに色も赤っぽい。
 アカイエカの発生源は、下水溝、水槽など。この蚊は自然環境よりも人為的な場所を好むのだとか。僕の深夜の対戦相手は、こいつに間違いない。
  もう一種類のチカイエカは、アカイエカの仲間。地下水槽など温度が安定しているところで、年間を通じて活動する。冬のビルの地下街などで、人を刺すのはこいつの仕業だ。
  昨夜の戦闘開始は午前二時半。敵機来襲の羽音を聞いた僕は、ベッドから飛び起きて枕元の灯りをつける。必死に辺りに目を凝らすが、敵の姿は見当たらない。敵を引き付けるため、一旦灯りを消すと、案の定、再び羽音が聞えて来た。
 スタンドをつけたり消したり、つけたり消したりの繰り返し。、ようやく蚊を発見したのは、東の空が白みはじめた頃だった。
  枕元の壁をチョコチョコとバウンドするように飛んでいた蚊が、ピタッと壁に止まる。僕は掌の殺気を消して相手に気づかれないように、ギリギリまで近付く。
 蚊を退治するのもゴルフと同じ、オーバースイングで当たるものではない。小さく振りかぶってピシャリ、見事に命中。奴はポロリと僕の枕の上に転げ落ちた。
 これでこの夏、僕と蚊の対戦成績は、三晩戦って三匹退治で、僕の勝率十割。
 獲物の一匹は壁の模様の一部となり、二匹はナイトテーブルの上に並べておくことにした。ところが、何でも口に入れたがる一歳四ヵ月の舞子ちゃんが食べてしまいそうなので、奥さんに捨てられてしまった。
 寝不足の夏の日は、陽の光がいつもよりこたえる。そんな時こそ、元気を振り絞って、頑張らなくては。なにしろ今日の僕は、元気なリス役なのだから。
 この日は、僕が声優に初挑戦した映画『森のリトル・ギャング』のジャパンプレミア。共演者の皆さんと舞台挨拶に臨んだ。
 風来坊アライグマのRJ役の役所広司さん。カメのヴァーン役の武田鉄矢さん。そして僕は、おっちょこちょいリスのハミー役。
 ハミーは、いつも画面の中を、他の動物達の倍のスピードで動き廻る。
 そんな元気なハミー君も、森でヒトスジシマカに苦労しているに違いない。

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