週刊新潮 九月二十一日号
「石原良純の楽屋の窓
」
167回
左脳ベンツ
僕の愛車はベンツ。
「ベンツあげるから取りに来なさい」という母親の豪気な一言で、そのベンツは我が家へやってきた。
今でこそ、麻布や白金界隈にはベンツ渋滞が起きているが、その昔、僕が生まれた逗子の街には、黒とクリーム色の二台のベンツしか走っていなかった。そして年に一度、裕次郎叔父がファーンと不思議なクラクションを鳴り響かせて現れるのが、ガルウィングのベンツだった。
ベンツは少年の憧れ。ベンツは富と名声の証。「いつかはベンツに乗れるような大人になりたい」と当時の子供は目を輝かせて欧州車の流線形フォルムを眺めていた。
そんな少年の日の思いを秘めて僕は、仕事を頑張り、逗子の街の名士や裕次郎叔父に少しでも近づいて、いつかベンツを買おうと大まじめに決めていた。
ところが、ベンツは実にあっけなく我が家にやって来た。セミスポーツタイプのそのセダンは、九年間の走行距離が僅か一万キロ。シートを目一杯に前に出し、直角に立ててやっと母親の顔がフロントグラスに現れる。街ではグレーのベンツがもの凄くノロノロと走る姿が目撃され、同乗した人は、「運転代わりましょうか」とつい口を挟みたくなるほど車はぎこちなく走っていたという。
というわけで、母は二廻り小ぶりで視界も広く運転しやすい国産車に買い代えることを決めたらしい。そこで、見すぼらしい車に乗っている僕に、車をあげようというのだ。
それにしても、僕の車を見すぼらしいとは失礼な話だ。僕だってちゃんと芸能人の見栄でBMWに乗っていた。
八年落ちのBMWは、遊びにも仕事にも僕の足となり走行距離は十万キロ超え。スニーカー感覚で、いつでも、どこでも使うから、車体の細かなキズを数えたら切りがない。確かに、見すぼらしかったかもしれない。
新車の置き場所に憂慮してベンツの処分を急ぐ母親は、勝手に解体業者を見つけてきた。「四万円出してBMWを引き取ってもらえ」はないだろう。
僕の乗るベンツE320アバンギャルドには、カーナビも、CDも、もちろんMDもついていない。「車は貰ったのだから、それぐらい買えよ」と思われるかもしれないが、どれも僕には必要ないのだ。
そんな僕の趣向を見事に言い当てるのは、体に関する情報バラエティ番組『人間!これでいいのだ』(TBS系土曜夜)が紹介する・右脳・左脳理論・。
両手の五本の指を組んだ時、親指が下に来る側が情報インプットの利き脳。利き手が右手の人は左脳をよく使い、左手の人は右脳をよく使う。左指が下で右利きの僕は、左脳人間のようだ。
左脳は言語や計算に働く“理論脳”。
右脳は芸術、イメージを司る“直観脳”。
左脳を使う僕は、物事を言葉にして記憶し、積み重ねで上達する。右脳人が絵で記憶し、ひらめきで行動するのとはわけが違う。運転歴二十余年の僕の頭の中には、理論的に道路マップがインプットされ、カーナビの指示より早く目的地に到着できる。
左脳人は音楽の歌詞を聞き、右脳人はメロディを楽しむのだとか。カーステレオが鳴ると、僕は歌詞に聞き耳を立て、運転の注意力が低下してしまう。音楽なんか聞かなくても、一生懸命に前方の景色を眺めればドライブは楽しいものだ。カーナビも、CDもなしで、ベンツは今日も快適なドライブを続けている。
ウチの長男・良将は、現在二歳と十ヵ月。奴が免許を取るまで乗り続け、大学の入学プレゼントにしてやろう。
入学プレゼントがベンツだなんて、めちゃリッチじゃありませんか。
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