週刊新潮 ゴールデンウィーク合併号
「石原良純の楽屋の窓
」
198回
げいのうかい島
「明日は晴れますか」
そんな時、僕は何も答えない。晴れ、と答えて当たっても、誰も誉めてはくれない。だけど、予報をハズして雨が降ろうものなら、何を言われるか分からない。
雨、と答えて当たっても皆に渋い顔をされ、ハズレて晴れれば、「天気予報なんて」とせせら笑われる。予報を答える僕にメリットはなにもない。
だいいち僕は、いつも天気図を持ち歩いているわけではない。天気予報は、最新情報であることが一番重要なのだ。僕は軽率に予報を口にせず、「テレビを見なさい」と相手を諭すことに決めている。
「予報がハズレたら、どうしますか」
どうもしません。予報が全部当たってしまったら、雨宿りはなくなるし、撮影現場を気合いで晴れにする”晴れ男”の優越感も味わえないし、突然の雨に登頂をあきらめる挫折感も味わえない。
天気予報は、人間の生命、財産を守る重要な情報だ。レーダー観測や衛星観測など観測機器の進歩と共に予報精度は飛躍的に向上した。昭和三十年代までのように、大型台風に不意を突かれ数千単位の人命が失われることは、今の日本ではありえない。
集中豪雨も、数時間先の降雨量や降水域は予想できる。しかし、皆が寝入っている深夜など、その予想をどうやって人に知らせるかが今の課題だ。また、予報を聞いても実際に避難してくれるかどうか、情報の発信側と受け取る側に強い信頼関係が必要になってくる。
そんな現在の予報技術をもってしても、予想外の雨がパラつくこともある。なにしろ、気象予報士が相手にしているのは、天気・天の気持ち・なのだから。人間が百パーセント予想を的中できるはずがない。
突然の雨にちょっと濡れた、予定どおりに行動出来なかった、と腹を立てるより、雨粒の落ちてくる灰色の空を見上げよう。決して人間の思いどおりにはならない大自然の下に暮していることを実感できるはずだ。海や山へ出かけなくても、空はもっとも身近な大自然なのだ。動物が巣穴で身動きしない時があるように、人間にもぼーっと空を眺める時間が不可欠だ。
そんな僕が、予報をハズして開き直っているわけでは決してないのです。
「地震雲はあるのですか」
ありません。大空を怪しく切り裂く地震雲の八割九割は飛行機雲か巻雲。
仮に百年に一度の大地震と連動する気象現象が存在したとしても、因果関係が実証されるのは、早くて数万年先の話。寿命百年の人間にとって、地震雲は存在しないも同じなのだ。
以上三つが気象予報士の僕がよく聞かれる質問。
いろいろな職業のよくある質問をひとまとめにして一挙に答えてしまおうというのが、その名もずばり、『よくある質問?』(テレビ朝日・五月六日夕方放送)。
ひな壇に並ぶのは、弁護士・丸山和也氏、漫画家・江川達也氏、元横綱・花田勝氏、医師・西川史子女史、ブログの女王・眞鍋かをり女史、華道家・假屋崎省吾女史?。テレビでおなじみの皆さんだが、こうして並んでいるのを改めてみると、芸能界にはいろいろな人がいるものだ。
一昔前には、弁護士や医者の先生が専門外のことをテレビでしゃべる光景は見られなかった。ところが、今や中高生から大物政治家まで多種多様な人材がテレビを彩る。
俳優の僕がバラエティーに進出し、気象予報士の資格を取得して報道番組にも顔を出す。芸能界を一つの島とするならば、その領土は確実に拡大したということなのだろう。
でも、島の面積は広がっても、島民の数は増えないのが芸能界島の恐ろしいところ。島から転げ落ちないように精進しなくては。
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