週刊新潮 六月七日号
「石原良純の楽屋の窓
」
202回
甘〜い、水の都
「”スイセイ”を漢字で書きなさい」
『熱血!平成教育学院』(フジテレビ系・日曜夜)で、最優秀成績の僕は、短期海外留学を懸けて漢字書き取りに挑んだ。僕が番組最後の難問に挑戦するのは、これで四度目のことだ。
”カツモク”は、司会のユースケ・サンタマリアさんのお気に入りの言葉。「目をこすってよく注意して見ること」と意味は分っても、”刮目”の文字は思い浮かばない。
”ハンゴウ”は、高原学校の持ち物の手引きで見たような気がするが、”飯盒”の”盒”の字は他に使い道があるのだろうか。
「鳶がクルリと輪を画いた」の”クルリ”は、”転”と書くのだそうだ。答えを知れば、なるほど納得できる。でも、この一文字が書けるか書けぬかで、世界中のどこでも好きな場所に行けるか否か決まるのだ。
僕は留学先として、中国・青蔵鉄道を希望してきた。青海ゴルムドからチベット自治区ラサへと続く線路は、世界一高い所を走る。平地の半分しかない薄い空気の高原を、高気密の弾丸列車が駆け抜ける。
だが、過去三回の挑戦は、薄い空気の景色に憧れていたのがいけなかったに違いない。希薄な酸素は頭の働きを鈍くする。そこで、今回は楽しい旅行先を想像して難問に挑むことにした僕は、留学先をイタリア・ベネチアに変更した。
ベネチアは言わずと知れた水の都。街に張り巡らされた運河を、ゴンドラが行き交う。そんなお馴染みの光景を子供の僕が初めて目にしたのは”兼高かおる世界の旅”か、”007 ロシアより愛をこめて”かのいずれかに違いない。
ベネチアは今、島全体で地盤沈下が進み、建物や広場が水浸しになることも多い。地球温暖化によって海面上昇が進めば、街の存続自体が危ぶまれる。
「ベネチアの夕暮れ時、海の彼方へ沈みゆく太陽を眺めながら、恋人と二人でアマレットのボトルを一本空けてしまった」と、甘〜い自慢話をする友人がいた。甘い甘いリキュールよりもっと甘い水の都の夕日と潮風を、ぜひ一度味わっておかねばなるまい。
さて、”スイセイ”だが、僕は見事に書けました。
なにしろ”彗星”は、かつて新大阪から宮崎へ向かうブルートレインであり、旧帝国海軍の艦上爆撃機の名称でもある。意外なところで鉄道オタクや帝国海軍マニアの知識が活かされるものだ、と我ながら驚いた。
水の都といえば、現代の東京に暮らす僕らはすっかり忘れてしまっているが、江戸の街こそ徳川幕府が築いた世界最大の水の都。
隅田川は、かつて大川と呼ばれ、花見、花火など江戸市民から親しまれる水辺文化の中心。そしてまた、舟運機能を果たす江戸の大動脈でもあった。関東諸国の生産物は隅田川を舟運で往復した。さらに日本橋川や神田川を遡り、江戸市民の生活を潤した。
最近、”水の都・江戸”を見直す動きがある。日本橋の上に架かる首都高を移転させようというのも、そんな話の一環なのだろう。
先日、僕は隅田川から神田川、さらに日本橋川をグルリと巡る”都心の水辺ツアー”に同行取材する機会を得た。
見慣れた東京の街も、川から眺めれば思いもよらぬパノラマとなる。神田川から見上げた御茶ノ水駅界隈の景色は、アールデコ風な聖橋のアーチ型の橋脚と川岸にせり出す古めかしいビルの背中が相俟って、パリ”セーヌ河岸のようにも見えてくる。東京の川も捨てたものではない。自分が暮らす街の川を角度を変えて眺めるのは、楽しい旅だった。
でも、僕はやっぱりベネチアがいいや。だって、いくら奇麗になったとはいえ神田川にはドブネズミが多かったもん。
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