週刊新潮 九月二十日号
「石原良純の楽屋の窓
」
216回
な界陸上
”より速く、より高く、より遠くに”
急にそんなことを言われても困ってしまう。なにしろ、百メートル走なんて、高校の体育の授業以来のことだ。走り高跳びや走り幅跳びとなると、最後にいつ跳んだのか、さっぱり記憶がない。
子供の運動会の父兄参加競技にも、最早、二の足を踏む僕らを集めて、陸上競技会を企画するのは『中井正広のブラックバラエティ』(日本テレビ系・日曜夜)に決まっている。この夏の一大スポーツイベント、大阪の”世界陸上”に対抗して”な界陸上”をやろうというのだ。
競技会場は、江東区・夢の島陸上競技場。陸上部出身の妻に、その日の収録のことを話すと、「私が青春を刻んだ神聖な競技場でふざけないで」と叱られた。
競技会当日の八月十七日は、前日に熊谷で記録した日本最高気温四〇・九度に引き続く猛暑。唯一の救いは、競技場が海に近く海風が吹き抜けること。それでもトラックでは、五〇度を超えていたのは間違いない。
四百メートルトラックの広いフィールドに選手が七人。大きなメインスタンドには、スタジオ収録時と同じく観覧エキストラが三十人。そんなチープな感覚がこの番組の持ち味でもある。
それでも僕ら出演者は、控え室では気が乗らなくても、いざ競技が始まると誰もが人一倍頑張ってしまう。負けず嫌いの性格は、芸能界の性のようだ。この僕ですら、人よりも速く、高く、遠くに、といらぬ力が全身に漲っていた。
最初の種目は、走り高跳び。アイウエオ順だか、背の順だか知らないが、いきなり僕から跳躍しなければならなくなった。
場内アナウンスで名前を告げられ、三十人の拍手を浴びて、僕は試技に臨む。審判員の白旗が上がり、僕は精神を集中して助走する。その時、僕の頭にシンプルな疑問が湧いた。
”走り高跳びって、どうやって跳ぶんだっけ”
はさみ跳び、ベリーロール、背面跳び……保健体育の授業で習ったそんな言葉が次々と頭に浮かぶ。
僕は何事につけ、頭で考えてから行動する理論派。踏み切るスピードは、踏み切る角度は、ゴチャゴチャ考える間もなく、僕はバーにぶつかった。それも僕の腰ほどの高さもないバーに。
二種目めは、走り幅跳び。こうなれば、何も考えず、パーッと走って、ピョンと踏み切って、ドンと着地するほかない。僕の頭の中には、軽やかに助走し、鮮やかに宙を舞う自分の姿が浮かんでいた。
その結果が三メートル六十六センチ。この記録が良いのか悪いのか。日本の七十歳以上のマスターズ記録にも及んではいないが、僕はちっとも恥ずかしくない。だいいち僕は、この番組のオンエアは絶対に観ない。
最終種目は陸上の華、百メートル走。とはいえ七人の選手には、早くも疲れの色が浮かんでいた。
でも僕は、大丈夫。日頃、ズルズルと長い距離を走っているから無駄に体力だけはある。百メートル走では勝ち目はないが、四百メートル、いや千メートル走なら絶対に優勝できる、と炎天下で真剣に考えていた。
百メートル走も、記録会形式。ひとりずつ走ってタイムを計る。
僕は短距離走には全く自信がない。なにしろ、刑事の走りが売り物の一つだった『太陽にほえろ!』で、マイコン刑事の僕だけは、走って犯人を追うことはなかった。
とにかく号砲一発、遥か彼方のゴールを目指した。
真夏の陸上競技会では、すっかり恥をかかされた。ならば、冬のマラソン大会で、皆を見返してやろうじゃないか。
あっ、しまった。こんなことを言うと”ブラバラ”のスタッフは、本当にマラソン大会を企画してしまう。
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