週刊新潮 十月四日号
「石原良純の楽屋の窓
」
218回
丸亀城攻略
「空飛ぶ鳥以外に、この城壁を乗り越える者はあるまい」。殿様は、完成した城の石垣にご満悦。
そんな殿様の言葉に石垣を築いた名石工の羽坂重三郎は、「尺余りの鉄棒があれば登ってみせます」と言うや、いとも簡単に登ってしまった。
それを見た殿様は、重三郎が敵に内通しては一大事と、重三郎に城内の井戸を探らせた隙に、石を投じて殺してしまった……。
バスガイドさんから、そんな伝説を聞いたのは、今から三十五年前、小学校の修学旅行の時だった。
たしかに、麓の国道を走るバスの窓から見上げた丸亀城の石垣は、小高い山を幾重にも取り囲み、遥か頭上の天守閣まで続いていた。
修学旅行のバスは、金毘羅さまへ真っ直ぐに向かう。その日は城に登れなくても、「いつの日か絶対に天守閣を征服してやろう」と心に誓った。そんな僕は、当時すでにお城ファンだったのは間違いない。
そして先日、遂に丸亀城に登る機会を得た。丸亀市の隣町で”坂出市民大学”の講師をお引き受けした僕は、講演前のひと時、讃岐うどんのお誘いをきっぱり断り、丸亀城へ向かった。
講演主催者のJCのおじさん達、もとい、JCは四十歳で卒業とのことだから、皆さんは僕より若い。JCのお兄さん達も、まさか僕が本気で天守閣まで登るとは思っていなかったようだ。坂のきつい城山には、地元の人も滅多に登らないらしい。お壕端にある大手前高校OBのJCメンバーでさえ、高校卒業以来、城に登った記憶がないと言う。
天守閣を仰ぎ見ながらお壕を渡り、L字に並ぶ重要文化財の”大手二の門”と”一の門”をくぐり抜ければ、そこは城内。標高六六メートルの亀山を中心に、ぐるりと壕が巡らされた東西五四〇メートル・南北四六〇メートルの立派なお城。
もし、僕の暮らす街にこんなお城があったならば、僕は毎日くまなく城内をジョギングして廻っているに違いない。
城内に足を踏み入れると聳え立つ石垣に遮られ、天守閣は姿を隠す。”扇の勾配”と呼ばれる美しい曲線を描いて据を広げる石垣は、優美さと猛々しさを兼ね備えている。
本丸へと続く道は”見返り坂”と呼ばれる急勾配。全国各地の城を廻り巡る僕も、戦国の世ならばいざ知らず、観光客が登るこんな急な参道ははじめてだ。なるほど観光客はおろか、地元の人も容易に近づかないわけだ。
帰り道の急坂は危なっかしいことこの上ない。皮靴の僕は、滑る路面を小股でちょこちょこと下りられたものの、おばさま達が観光バスでどっと乗りつけて、もし誰か一人が転んだなら、将棋倒しで事故になりかねない。
全国十二カ所に現存する木造天守の一つ、讃岐平野をじっと見下ろす丸亀城の天守閣は、小ぶりながら威厳を湛える。あえて一言言わせてもらうならば、入口正面にでんと置かれた入館者用の下駄箱はどうだろう。白亜の天守閣と下駄箱の緑色のスリッパのコントラストはどうにもいただけない。
しかしこの日、何より驚いたのは、まるでミストサウナのような湿気だ。
日本海の秋雨前線に向かって、東シナ海の台風が暖かく湿った空気を無限に送り込む。その上、ひと時の驟雨が上がり、薄日が差した景色には水蒸気が飽和して今にも水滴が浮かびそう。坂を登りはじめた途端に全身から汗が噴き出し、瞬く間に白いワイシャツから上半身総ての肌がくっきりと透けて見えた。
それでも僕は大満足。ワイシャツは紳士服の『はるやま』でおニューを仕入れて会場入りしたから、大丈夫だ。
やっぱり讃岐へ行くなら、うどんもいいけれど、丸亀城でしょ。
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