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週刊新潮 十月十一日号
「石原良純の楽屋の窓 」
219回
ピーカン子育て日和

 三連休の最終日、親父とゴルフへ出かけた。メンバーは、母親を加えてのスリーサム。家族ゴルフは、丸二年ぶりのことだ。
 ロクにクラブを振ったこともない大学生の僕が初めて足を踏み入れたのも、同じ茅ヶ崎のゴルフ場だった。これまたド素人の兄とチョロチョロ尺取り虫ゴルフの母親ともども、その日の親父は、初ラウンドの僕を辛抱強く見守っていた。
 親父は、今の僕より少し年上の四十七、八歳。三番アイアンを振り廻し、糸巻きボールをひっぱたき、二百ヤード以上を軽々とブッ飛ばしていた。
 今はデカヘッドの大容量ドライバーに高反発ボールをもってしても確実に落ちた飛距離に、「飛ばなくなった。飛ばなくなった」としきりと嘆く。だが、七十五歳という年齢を考えれば、親父はまだまだ大元気に違いない。
 ラウンドの後は、クラブハウスでジントニック。熱伝導率の高いスズ製のジョッキに氷を満たせば、中は冷え冷え。そこにダブルのジンとハーフカットのレモンを搾り込む。初ゴルフの日のこの一杯が、親父との会話のきっかけとなった。
 それまでの僕といえば、「慎太郎さんは、どんなお父さんでしたか」と俳優デビューの時から何度となく聞かれても、僕には答えようが無い。なにしろ、酒を飲む以前の子供の僕には、親父との接点はほとんど無かったのだから。
 昼夜が逆転している作家の生活。たまに夕食時、家に親父がいても食事は完全二部制。親父は、僕らの食事の一時間後に一人で食べる。家族旅行の季節にも、親父は、仲間と共にヨットで海へ乗り出して行ってしまう。
 ところが最近、兄弟四人分に仕分けされ実家から送られてきた写真の束を見て気がついた。七五三で八幡宮の太鼓橋を渡る僕の背後に、誕生会でロウソクを吹き消そうとしている僕の背後に、親父が写っていた。子供の僕は、目つきの鋭い親父を見ないように心掛けていたに違いない。それが子供の本能なのだから。
「お父さんは、子供達の寝顔を見るのを何より楽しみにしていたのよ」
 今の時代の父親と違い、全く子育てに携わらなかった親父のことを僕が揶揄すると、そう母親に窘められた。僕らが寝静まった夜半、親父は僕らの物凄く近くにいたのかもしれない。
 親父の子供への愛情表現は、頬をムニュっとつねること。二の腕をカプリと噛むこと。ちょっと手荒なスキンシップが動物の本能なのだと言って、親父は憚らなかった。子供の僕らにとっては、ただでさえおっかない親父に、つねられたり噛まれたり、なんとも居心地の悪い時間だった。
 久々のゴルフの後も昔と同じジントニック。きりりと喉を潤して、腹の底までジンの刺激が染み渡ったところで親父が呟いた。
「良純。子供、可愛いだろ」
 その目は、楽しそうに笑っていた。もしかしたら、その眼差しは僕の腕を齧っていた時と同じなのかもしれない。
 自分が子を持つ親の立場になって気付いたのは、自分が子煩悩の部類に属するかもしれないということ。そんな僕の親も、子煩悩に違いない。子供の僕には親父の愛情表現は多少難解だったけれども、気が付けば僕も親父と同じように子供をパクリと噛んでいる。
 親は子供にどんな態度で接すればいいのか。参考にするのは自分の父親。でも、ウチの親父を見習って大丈夫なのかと僕は不安になってしまう。ならば、多くの人に教えを乞おう。そこで、僕はこの十月から始まるラジオの新番組のテーマを、子育てにしてもらった。
『石原良純のピーカン子育て日和!』(ニッポン放送・火曜日夜八時)。どしどし子育てに関する御意見を、お待ちしております。

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