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週刊新潮 十月十八日号
「石原良純の楽屋の窓 」
220回
石原家の年次総会

 九月三十日は、親父の七十五歳の誕生日。
 政治家の皆さんは、盆暮れが何かと忙しい。そこで石原家の年次総会は、親父の誕生日あたりと決まっている。
 東麻布の中華レストランに少し遅れて到着した僕は、
「おめでとう」と大きな声で三階の個室に飛び込み、足元に座っていたウチの長男・良将に蹴躓いた。 
 間接照明の薄暗い部屋の様子をうかがうと、正面に座る親父を中心に、長方形の大テーブルをぎっしり家族が取り囲んでいる。その背後で、ウェイターさん達が人と壁との僅かなすき間をつま先立ちでサーブしていた。
 末弟・延啓の長男で二歳の辰馬が、部屋の暗さと人いきれに恐れをなしてビービコ大声で泣いている。その様子に、ウチの良将も舞子も目は釘付け。彼らも、今にも泣き出しそうな気配だ。早く辰馬を部屋の外に出さないと連鎖倒産になりかねない。延啓に抱き抱えられた辰馬は、ピチピチとカツオのように身をくねらせながら宴席から退場していった。
 今年の総会は大盛況だった。去年は幹事の三男・宏高からして選挙区の会合で夫婦揃って欠席した。そのペナルティーで僕ら四人兄弟が四年に一度持ち廻りの幹事を、宏高が今年も連続で務めることになったのは伸晃兄の裁定だ。
 僕も去年は、講演先の青森で大雨に見舞われ、飛行機も電車も止まって急遽欠席するハメに陥った。
 あの日は、前日まで日本の東の海上を並んで北上していた二つの台風、十六号と十七号が相次いで天気図から消滅して二つの雲が合わさり、一つの低気圧となった。天気図から台のマークが消えると誰もが安心する。しかし、その強大なエネルギーが突然に消えてなくなるわけではない。台風と低気圧を区別するのは人間が勝手に考え付いたこと。大自然からしてみれば、何の意味も持たないのだ。
 気象現象を見極めて警戒を怠らず、注意を喚起するのが気象予報士の役目。なのに、この日の僕は、ド素人のようにすっかり台風マークが消えたことに安心していた。
 青森駅構内で特急列車が動けなくなって始めて、その非を悟った僕。反省しきりで四合瓶の地酒をちびりちびりやりながら、『白鳥二十号』の車窓から荒れ狂う空を眺めていた。
 今年は、兄弟四人全員が出席。さらに良将、舞子、辰馬という二歳三歳児が会に初登場した。いっきに平均年齢も若がえり、宴席の賑やかさも格段に増していた。
 皆が想い想いにしゃべり、人の話など誰も聞いてやしない議論白熱の賑やかな会だったが、その賑やかさが今年は、またひと味違っていた。
 小さな子供は皿をひっくり返すし、部屋を動き廻るし、おちおち会話している暇などありはしない。
 それどころか、僕が子供をトイレに連れて行って席に戻ると、お皿の上の肉だんごが消えていた。店の名物”上海蟹”を食べられない甲殻類アレルギーの僕のために、店が用意してくれた特製”酢豚だんご”なのだ。兄貴と宏高が一つずつ突っついていたと、後で妻が教えてくれた。人の騒ぎにつけ込むとは、とんでもない奴等だ。
 小さな子供にとって限界の二時間半で、食事会はいつもより早目にお開きとなった。思えばその夜、僕は誰とも満足な会話を交わせなかった。福田内閣の行く末についても、東京オリンピックの展望についても、新たな情報を得ることはなかった。
 まっ、それもいたしかたないか。これから数年は、こんな調子で石原家の集まりは続くのだろう。
 子供相手にせよ、大人相手にせよ、石原家の総会は疲れるのだ。

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