週刊新潮 十一月八日号
「石原良純の楽屋の窓
」
223回
歴史的大事件
挑戦なくして、成功は勝ち取れない。世界を舞台に様々な事柄にチャレンジしようというのが、『ヤレデキ!世界大挑戦』(TBS系・毎週土曜夜)。
今週は、チャレンジャーのまちゃまちゃが、中国・四川省の成都へ飛んだ。
四川省といえば、パンダの故郷。
昨年、パンダ園はベビーラッシュで、十八頭の赤ちゃんパンダが誕生したという。子パンダはずんぐりむっくりで、まるで着ぐるみか縫いぐるみのよう。子パンダ達が、ゴロンゴロンと寝転がる姿を眺めているだけで楽しい。でも、運動場の遊び道具に飽きてきたのだという。
そこで、子パンダが喜ぶ、背が高くて、丸くて、動く遊び道具を造ってやろうじゃないかというのだ。
僕も二十年ほど前に、成都を訪ねたことがある。四川料理の代名詞、麻婆豆腐の元祖を探るというロケだった。
『陳麻婆豆腐店』の陳婆さんが初めて作った麻婆豆腐は、一品料理というよりも香辛料。暑さ寒さの厳しい彼の地で、ちょっぴりなめては御飯をかき込む、健康増進食品だったようだ。
しかし、辛かった、辛かった。辛いものが苦手な僕は、中国滞在中ずっと胃痛に悩まされた。
その時も、パンダ見学に成都の動物園に出かけた。日本にやって来たパンダは、立派なパンダ舎で豪勢に暮らし、大勢の観客に囲まれているのに、成都の動物園では、猿山ならぬパンダ山にパンダは野放し状態。柵の周りに人だかりもなく、閑散としていた。
そんなパンダが、改革開放政策の進む中国では観光資源と見直され、パンダ専門の動物園が三年前に誕生した。
改革開放といえば、成都の帰路に立ち寄った北京でのこと。紫禁城見学に出かけた僕は、夕暮時の天安門広場でデモ隊に出くわした。彼等が掲げる大きな写真の肖像の横には、・◯◯美大・と書かれている。
僕はてっきり亡くなった美大の先生の追悼集会なのかと思ったが、ホテルに帰った夜のテレビニュースで胡耀邦氏が亡くなったことを知った。その後デモ隊は、中国指導者が住む中南海へと進んだという。
騒乱は、僕が帰国したあとも続き、六月四日の悲劇的な結末を迎える。
なんと、僕は世界を駆け巡った歴史的大ニュース、『天安門事件』の発端を、偶然、目にしていたわけだ。
しかし、『ヤレデキ』司会のオリエンタルラジオのお二人には、こんな話はピンとこないのかもしれない。なにしろ、中田敦彦さんは二十五歳、藤森慎吾さんは二十四歳なのだから。
♪武勇伝、武勇デンデンデデンデン♪と軽快なリズムの漫才はライブで大勢のファンの支持を獲得し、ピザのコマーシャルで一躍お茶の間の人気者になる。コンビ結成三年目の今は、コンビ名が冠につく番組を幾つも持つ、若手お笑い人気ナンバーワン・コンビだ。
そんな彼等は、ラジオの生放送中にディレクターがCMを差し込むほどの大喧嘩をしたという。喧嘩の発端は、その数週間前に露見した慎吾さんの嘘にある。自分の方が初体験が早いと嘘をついていたことを、慎吾さんは敦彦さんに白状したのだとか。
学生時代のバイト先で知り合った二十歳の若者にとっては、初体験の先輩後輩は大問題だったのだろう。どうでもいいようなことでも、大まじめに喧嘩できる二人は、大の仲良しということなのだ。
「今度、何か旨いもの、食べに行こう」と僕が先輩風を吹かして誘えば、二人は「よろしくお願いします」と初々しく頭を下げる。
いいね、いいね。先輩がなんでも奢ってあげるから。
その代わり、レギュラーパネラーのこの僕を、他の誰よりも大事にしてね。
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