週刊新潮 十一月二十二日号
「石原良純の楽屋の窓
」
225回
お天気JAPAN
『お天気JAPAN』は、フジテレビのお天気キャスターによる”ワールドカップバレーボール2007”の応援団。メダルと共に、北京五輪出場資格獲得を目指す、全日本チームを応援する。
メンバーは、『とくダネ!』の天達武史さん、『めざましテレビ』の皆藤愛子さん、『めざましどようび』の大澤亜季子さんと僕の四人。僕たちは大会期間中、『お天気JAPAN』のお揃いの真っ赤なユニフォームを着て大会会場から天気予報をお伝えする。
子供時代の僕のタンスの中には、赤いセーター、赤いトレーナー、赤い服が溢れていた。赤は兄弟四人を簡単に見分けられるよう母親が決めた”良純カラー”だ。赤いTシャツを着れば、ひときわ応援にも気合いが入る。
大会のマスコット”バボちゃん”と一緒に応援団結成の取材を受けた後、僕はお昼のミニ番組『体操の時間。』で披露する、応援ダンスの撮影に臨んだ。
こうみえても僕は、『北区つかこうへい劇団』出身。劇団員の必須アイテムといえば、しばしば劇中にも活用されるダンス。僕にもジャズダンスのレッスンで汗をかいた過去がある。
だが僕には、音に合わせて体を動かすという習慣が子供の時より全くなかった。そこで僕は、ワンで右手、ツーで左手、スリーで右足ピョン……と踊りの振りを頭の中で数字にして覚えることにした。ところがいざ曲が流れると、体がリズムについていかない。いつも先生のすぐ後ろの最前列で棒立ちになっていたものだ。
リズム感以上に、僕のダンスのネックとなるのが体の硬さだ。二時間のダンスレッスンでは、半分がストレッチに費やされる。その時点からして、僕の動きは皆と違っていて変。体をひねって、右のツマ先を左手で持って……、そんな格好できるワケがない。
体が硬いのは、柔軟体操を怠ってきたから。人間の体は、元来は軟らかいものだなんて話をよく耳にする。
でも、それは間違いだとウチの長男・良将が証明してくれた。彼はよく走り、よく転ぶ四歳児ではあるが、柔軟体操して、頭は膝頭につきやしない。体が軟らかい人、硬い人は、生まれながらに決まっていると僕は確信している。
それでも、練習は不可能を可能にする。僕も手振り足振りが皆に追いつくようになってきた。
最近では、僕のダンスが活きるのは、『笑っていいとも!』の年末特大号だろうか。去年の”DJ OZMA”、三年前の”ゴリエ”など、「良くやった」と僕は自画自賛してしまう。
踊りといえば、日本舞踊の稽古場に通っていたこともある。新派の芝居に参加する折、和装の所作に慣れるため、日本舞踊の稽古を勧められたのだ。
名取だけが集まる六本木の稽古場の隣りの小部屋で僕の稽古を見てくださったのは、当時の藤間康詞先生、現・八世藤間勘十郎先生。師匠だけは、超一流なのだ。
待って、待って、サササと摺り足。♪松の緑が……♪で、トントン、ホイ。覗いて、覗いて、扇子がホロリ。
そんな僕の姿はまるでなっちゃいなかった。
それでも、稽古場に通い始めて三カ月目、稽古の終わりに、先代の大先生の前で両手をついておじぎをすると、「ちゃんと、御挨拶できるようになりましたね」と声を掛けて頂いたのは、ムチャ嬉しかった。踊りは奥が深い。
そんな往年のレッスンの成果を活かし、僕は全日本チームを踊って応援する。そして最後に「頑張れ、ニッポン」と叫んだ僕らは、拳を固く握りしめていた。
あれっ、このポーズ、どこかでしたような。世界卓球で愛ちゃん達を応援した時と同じかも。
やっぱり、日の丸チームを応援すると気合いが入る。
|