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週刊新潮 十二月二十七日号
「石原良純の楽屋の窓 」
230回
僕の頑張った大賞

 今年の二の酉は、十一月二十三日。例年どおり、お酉様詣でに繰り出した。おいしいものを食べて、おいしい酒を飲んで、大騒ぎして、チャーターした観光バスに乗り込み、徒党を組んで鷲神社に出かける。
 宴会場は、この冬のミシュラン騒ぎで見事一つ星を獲得した『富麗華』。ただ毎年と一つ違っていたのは、安藤優子姐が所用で参加できなかったこと。それで、誰に乾杯の発声をお願いしようかと周りを見回すと、『お茶の間の真実』(テレビ東京系・月曜夜)の司会で御一緒の長嶋一茂さんと目があった。
「やる」と聞けば「やるよ」と答える。打てば響く太鼓のような一茂さんの朗らかさが気持良い。せめてお礼にと、僕の皿の上海蟹を差し出すと、ペロリと平らげる食べっぷりも、これまた気持良い。
 この宴会、ウチの事務所の忘年会も兼ねている。忘年会シーズンも始まり、気がつけばクリスマスイルミネーション溢れる街は、すっかり師走の色に染まっていた。
 二〇〇七年、何を頑張ったかと問われれば、僕が胸を張って言えるのは禁酒。
 毎日ワイン一本、日本酒四合瓶一本の酒量を諌められたのは、今年の年始早々のテレビ番組『恐怖の食卓』(フジテレビ系)でのこと。
 内分泌科、消化器科、循環器科等々、八人のお医者さまに寄ってたかって、このまま酒を飲み続ければ内臓脂肪、肝機能障害、動脈硬化、十年後には間違いなく楽しく酒の飲めない体になっていると厳しい御忠告をいただいた。
 十年後、齢五十五歳にして酒が飲めなくなってはかなわない。そこで僕は、週に一度の休肝日を決めた。肝臓には週二日の休肝日が必要と話に聞くが、何事も無理は禁物だ。気象予報士の僕がお薦めするエコライフと同じ、まず、手が届きそうなところを目標にする。
 週に一度の禁酒ならば、深夜のひとり酒をやめればいいだけのこと。
 番組収録を終えて深夜の帰宅。家族の寝静まった家で、僕は一人、ワインの栓を抜き、飛行機で貰ったおかきの小袋を破る。パソコンを打ちながら気がつくと、ワインの残りはボトル四分の一。ならば全部飲んでしまおう、と結局一本空けてしまう。
 そのままパソコンの前でグラス片手に寝入ってしまうこともある。翌朝は、ちょっぴり飲み過ぎ感と、消化不良のおかきによる胃のもたれに苛まれる。そんな意味のない時間を自粛すれば、目的は達せられる。
 それでも、スケジュール表を眺め仕事の終わり時間を確認し、酒が飲めないと決まった日は、本当に朝から辛い。ふと、人はなぜ生きるのか、なんのために働くのか、と哲学的な感慨にふけってしまう。
 せっかくお酒を我慢しても、翌日に倍の量を飲んでしまうこともある。金曜日までお酒を控えられず、楽しいオフの週末に飲めないなんて寂しい思いもした。
 唯一の救いが禁酒日を示す小さな星印だ。カレンダーに小さく光る星印を付けるのを楽しみに、僕は、週一の休肝日を一年間実践することができた。
 休肝日は休肝日を呼ぶ。昨日飲まなかったから今日もやめておこう、とカレンダーに星印が並ぶこともしばしばある。十二月半ばの時点で、星の数は七十余を数えた。
 人生最大の失恋をして、二週間。キリマンジャロ登山をひかえ、空気は下界の半分、五百ヘクトパスカルの世界に恐れをなして、一カ月。そんな過去の禁酒記録を大幅に塗り変えた。
 八人の専門医の皆さま、来年もう一度お会いしましょう。僕の健康状態は、大きく改善されているはずだから。
 僕は来年も、そして十年後も、週に一度の休肝日で、おいしくお酒を飲み続ける。

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