新潮
TOP
NOW
PROFILE
WORK
MEMORY
JOURNEY
SHINCHO
WEATER
CONTACT

 

 

 

 

 



週刊新潮 一月十七日号
「石原良純の楽屋の窓 」
232回
女難の相

「…もしも〜しっ。…部長〜っ」
 寝惚け眼で枕元の携帯電話に手を伸ばすと、聞こえて来たのは、甘く、どこか切ない女性の声。僕は、「間違いです」と一声告げて電話を切った。着信時間は、午前二時〇八分。僕の二〇〇八年の幕開けは、不倫電話から始まった。
 僕はまた、新年カウントダウンに参加することができなかった。大晦日の晩餐はシャンパン飲んで、フライングで中華おせちの重箱を開けて、くらげと黒酢酢豚を突っ突いた。
 すっかりいい気分でベッドに入ると、テレビではボビー・オロゴンが殺されずにボブ・サップに敗れたところ。木下優樹菜さんがトランプゲームで百万円取り損ない、ダウンタウンの浜ちゃんが笑う度に尻たたきの罰を受ける。リモコンをピコピコとザッピングしているうちに、ハッスルのリングに、なぜかケロロ軍曹が現れたところで、僕の記憶は途絶えた。
 この五年間で、僕が除夜の鐘を聞いて新年を迎えたのは僅かに一度だけ。近年の僕は、一段と夜に弱くなっているようだ。
 そんな僕は当然、朝には滅法強い。東の空に高級玉子の黄身のようにプックリとオレンジ色の御来光をベランダから眺めた僕は、寝静まる家人を残して、”今年こそ公園千周”の悲願を胸に、いつものジョギングコースへ向かった。
 玄関のドアを開けると、子供の泣き声がマンション中に響き渡っている。何事かと訝しがりながら下へ降りると、中庭で白猫と茶猫が頬を寄せ合い交互に甲高い鳴き声を上げていた。
 不倫電話に猫の愛の囁き。果して、今年の僕には女難の相でもあるのだろうか。僕はそんな邪気を払うべく、腕をグルグル廻しながら駆け出した。
 吐く息は白く、軍手の指先は冷気に痛みを覚える。それでも、元日の朝の冷え込みを例年に比べて弱いと感じたのは僕の思い過ごし。東京の元旦の最低気温は一・八度。平年の二・九度を下廻っていたのだから。
 今年は、いよいよ京都議定書の”約束期間”が始まる。二〇一二年までに先進国は、温室効果ガスの平均排出量を九〇年比五パーセント減らさなければならない。日本の削減義務は、六パーセント。それなのに日本では、〇六年度に六・四パーセント増加している。
「日本の気候帯は、一年に約五キロの速度で北へ向かっている」という研究報告が新年の新聞紙上を飾っていた。
 ブナの林は西日本から消え、ミカン畑は太平洋側から日本海側へ。サンゴ礁が消え、漁場が変わる。媒介生物の北上で、マラリアなどの感染症の危険が高まるという。
 昨年八月十六日に埼玉”熊谷と岐阜”多治見で七十四年ぶりに記録更新された四〇・九度の国内最高気温の記憶は新しい。
 昨冬は、記録的な暖冬。東京の初雪は、観測史上最も遅い三月十六日だった。梅雨入り、梅雨明けも例年より大きく遅れ、八月は記録的な猛暑、九月は記録的な残暑に見舞われた。困った記録ずくめの昨年。だが、今年も記録が次々に更新されるおそれがある。
 NHK木曜時代劇『鞍馬天狗』(十七日スタート)で、桂小五郎の僕が満開の桜のシーンを撮影したのは、クリスマスイブのことだった。
 底冷えの京都での真夜中のオープンセット撮影は、足元からジンジンと体が凍えてくる。それでも、十年前と比べたら暖かくなったような気がしてならない。
 今やらなければならないことを今やらねば、本当に桜の見頃が年の瀬にもなりかねない。
 元日の朝っぱらから、走りながら地球の未来を憂える僕は、偉いかも。でも、前夜の酒が祟って、志半ばでコースアウトする僕は、やっぱり偉くないかも。

<<前号 次号>>
 

<<前号 | 次号>>
 
ページのトップへ