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週刊新潮 一月三十一日号
「石原良純の楽屋の窓 」
234回
映画スターの夜

 一月十五日は僕の誕生日。高田純次さんがロケのオープニングに大きなバースデーケーキを用意してくれた。
 ジャーンとケーキの箱を開くと目に飛び込んできたのは、”石原伸晃さん、お誕生日おめでとう”の文字。伸晃は、兄貴だろうが。
『ぴったんこカン・カン』(TBS系・火曜夜)の名物企画”ちょい不良オヤジぶらり旅”のロケは、今回も賑賑しく始まった。
”ちょい不良オヤジ”とは、正に純次さんのこと。まるで好い加減が服を着ているような、その服さえ時には脱ぎ捨ててしまうのが純次さん。還暦を越えたとは到底思えない高田ワールドに、ロケ現場は笑いが絶えない。
 しかし、そんな純次さんも今回のロケは、いささか勝手が違うようだ。「俺、借りてきた猫だから。全く喋らないから」と恐縮する。
 なにしろ今回のゲストは、純次さんがテレビ界で脚光を浴びsるきっかけとなった、あの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でお世話になった松方弘樹さん。純次さんにとっては、たけしさんが”殿”で、松方さんは”大殿”なのだそうだ。
 僕も、京都の東映太秦撮影所に時代劇の撮影に行った折には、松方さんに随分とお世話になった。
 松方さんの宴席は超豪華。若竹の子、諸子、鮎、鱧、松茸……料理屋で小皿にチョロッと盛られる高価な季節の食材がドバッと大皿に盛られていた。
『遠山の金さん』のスタッフ、キャストを集めての大宴会もよく催された。主演俳優から新人スタッフまで、一堂に会して美味しいものを食べ、美味い酒を飲む。映画スターの宴席は、僕がこの世界に入って経験した石原裕次郎のそれと同じものだった。
 松方さんは、不遇な時代から主役スターとなった父親である近衛十四郎さんの背中を見て育った。
 そして、撮影所には、時代劇全盛期を創り上げた、市川右太衛門や、片岡千恵蔵など大スターがキラ星のように輝いていた。
 松方さんは、いつか自分が一番になり、自分を守り立ててくれるスタッフ、キャストと、誰にも負けない豪華な宴を催すことが、目標だったと言う。
 今回の旅は、”松方弘樹が愛した石原裕次郎、思い出の旅”。
 松方さんが京都から初めて東京の撮影所へ出て来た頃、日比谷の日活ホテルのバーで初対面の石原裕次郎に声をかけられた。薄暗いバーの長いカウンターの向こうから「おい、松方」と呼ばれた声を今もはっきり覚えているという。盃を酌み交し、成城の叔父の家まで連れて行かれた。
 玄関の階段を登るとスキッと伸びる長い足に目が留まる。長い足を目で辿っていくと長い髪と小さな顔のマコ姐が立っていたという。その姿は、子供の頃に僕が見たガルウイングのベンツから降り立ったマコ叔母の姿と同じ。松方さんの目にも叔母は宇宙人と映ったようだ。
 叔父がレコーディングしたばかりの『夜霧よ今夜も有難う』をBGMに朝まで飲み明かした。当時も今も松方さんにとって裕次郎は憧れの大スター。叔父がマコ叔母の膝枕で無邪気にグラスを傾けるその夜の景色は、一生忘れえぬ思い出だという。
 どんな店に入っても、まずブランデーを一本注文して飲んでしまう松方さん。だが、八年前にすっかり酒を止められた。今回のロケ中も一滴も酒を口にされなかったのには改めて驚いた。
 その効能か松方さんは血色もよく、お肌もツルツル。松方少年のブロマイドのように微笑を浮かべる。
 こりゃ、僕も酒を止めようか。いやいや、松方さんが酒を止めたのは五十代半ば。僕はまだまだ酒を飲み続けよう。
 気がつけば、両先輩を差し置いて、僕だけヒレ酒を注文していた。

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