週刊新潮 三月二十日号
「石原良純の楽屋の窓
」
241回
うわっ、初体験
映画『ポストマン』(三月二十二日公開)は、”バタンコ”で街を駆け廻り、人々の想いが込められた手紙を確実に迅速に届ける郵便配達員とその家族の物語。
ちなみに”バタンコ”とは、真っ赤で大きな集荷籠の付いた、郵便配達のおじさんが乗る赤い自転車のこと。後輪の車輪立てを倒すと、バッタンと大きな音がするからに違いない。
東京国際フォーラムで開かれた映画の完成披露試写会に僕が出かけたのは、『お茶の間の真実』(テレビ東京系・月曜夜)で司会を共にする長嶋一茂さんが主人公の配達員を演じているから。そして彼は、この映画の製作総指揮、総合プロデューサーでもある。
番組収録での一茂さんといえば、司会といえどもスタジオに台本は持ち込まない。とはいえ、番組全体の流れをしっかり頭の中に把握しているふうでもない。
「詳しいことは、僕はいいんだ」とニッコリ笑い、VTRが流れる間は、野球で痛めた腰を庇ってストレッチに余念がない。
そんな一茂さんが時間も手間も、莫大なエネルギーを必要とする映画作りに乗り出したのが、僕にとっては大きな謎だった。
一茂さん曰く、「映画作りは子供の頃からの夢。野球の道へ進んだが、引退後も映画作りへの情熱が薄れていないか、自分自身を見極めるための一大決心」だったという。
試写会場に行って驚いたのは、セーター掛けの一茂さんがヌーっと立っていたこと。これから舞台挨拶を控えたプロデューサー氏といえば、ビシっとスーツを着込んで、どこかの楽屋で開演ブザーを神妙な面持ちで待っているものとばかり思っていた。一茂さんは片手を挙げてニッコリ笑うと、「僕はいいんだ」といつものように言った。
新作映画の幕開け前の期待と不安の入り交じった緊張感が場内に漂う。僕はそんな空気に、今からちょうど二十六年前になる自身のデビュー作『凶弾』の製作発表を思い出した。
ホテルの宴会場の金屏風前の雛壇には、僕と共にズラリと映画会社の幹部が並んだ。僕の目の前には席を埋め尽す記者。カメラの放列が僕の一挙手一投足を追っていた。石原裕次郎の甥のデビューというのは、こんなものなのかと、目の前の騒ぎとは裏腹に、僕自身は他人ごとのように冷静だった覚えがある。
「お父さんはどう言ってますか」「叔父さんはどう言ってますか」と、予想通りの質問が飛ぶ。そんな中、一つだけ困った質問があった。
「裕次郎さんはかつて”俳優は、男子一生の仕事にあらず”と仰っておられましたが、良純さんはどうお考えですか」
そんな事を聞かれても、当時の僕は大学三年在学中。映画界の”え”の字も知らなければ、”男子一生の仕事”なんて考えたこともなかった。
僕が気にしていたのは眉間の傷。記者会見前夜、志賀高原の合宿所にいた僕は、ナイター練習でスキーをポールに引っかけ、ザラメ雪のバーンに顔面制動。眉間に大きな擦りむき傷を作っていた。
今まで一度もスキーで顔に傷を付けたことなどなかったのに、大事の前に限って予期せぬことが起こるものだと、人生の教訓を、独りかみしめていた。
それでもフォトセッションとなれば、僕の表情は一茂さんと違って不自然な地蔵笑顔だったに違いない。
「こっちを向いてくださいよ」と大きな声がかかる。カメラマンも芸能界同様、大声を出した者勝ちなのだ、と気がついたのはずいぶんと経ってからのことだ。
上映終了後、舞台上で一茂さんは語る。
「やる事はやりました。後は皆様に見て頂くだけです」
うわっ、立派なプロデューサーじゃん。
|