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週刊新潮 三月二十七日号
「石原良純の楽屋の窓 」
242回
春が来た、春が来た

 Spring has come.
〔春が来た〕は、現在完了形。春は三人称単数扱いだから、動詞はhasを取る。誰もが一度は中学校の参考書で目にした例文だ。
 この季節、誰もが春を感じたに違いない。そこで、『FNNスーパーニュース』キャスター陣に、春の訪れを何で感じるかをアンケートした。
 安藤優子さんは、「風に春の香りを感じた時」という。
 ある朝、外へ出ると空気が柔らかくなったと感じる瞬間がある。それまで、肌を刺すように吹き荒んでいた風が、優しく頬を撫でてくれる。風は、モノトーンの視界に色彩を蘇らせ、寒さに耐えた肩の力をふっと抜いてくれる。
 そんな朝には、「うわ〜っ、春が来た」と思わず声を上げたくなる。鳥や獣も、鳴き声で春の訪れを祝う。
 木村太郎さんは、「うぐいすのさえずりを聞いた時」に春を感じるという。
 長野翼アナウンサーは、「エアコンをつけずに布団から出られた時」。
 柔らかな春の空気は、布団から飛び出す勇気を与えてくれる。でも、寒さに震えた体の芯の強張りが無くなると、再び眠気が襲って来る。・春眠暁を覚えず・で、朝ねぼうしてしまう。
 吉崎典子アナウンサーは、「自宅で漬けている、ぬか床をぬるく感じた時」という。僕が・食・で春を感じるのは若竹煮だ。
 おい、竹の子。春だ元気に顔を出せ。ズンズン空へ向かって伸びて行け。
 しかし実際には、竹の子は、竹林のおじさんに土から顔を出す前に収穫されてしまう。
 以前ロケで出かけた丹波の竹林。前夜のうちに地面のひび割れで目星をつけた場所に竹ぐしが刺してある。その周りを丁寧に掘り起こせば、大人の掌ほどの若竹に行き当たる。
 取れ立ての若竹は、刺身がうまいと勧められたが、やっぱり若竹は、かつおと昆布で煮た方がうまいに決まっている。
 スポーツキャスターの永島昭浩さんは、「皆がコートを脱ぎ、服装が変わった時」。
 テレビ番組では季節を先取りして巷よりひと月ふた月、早い衣裳を身にまとう。そのため、天気予報がスタジオから急遽、外中継となれば、僕は身を切る寒さの中で明日の予報を作り笑顔で伝えることになる。
 須田哲夫アナウンサーは、「芝生の中に緑を見つけた時」。
 須田さんはシングルプレーヤーだから、ゴルフコースのフェアウェーに芝生の緑を見つけるのだろう。僕の場合は、ダフってあけたディボットに、根っ子の新緑を発見する。竹の子採りと同様に、僕は根切りが得意なのだ。
 六人六様の春の訪れ。これが日本人の感性の豊かさ。そして、その感性を育んでくれるのが、日本の自然の豊かさなのだ。
 しかし近年、そんな豊かな日本の歳時記にやっかい者が加わった。それが、花粉症。本来、一年で一番楽しい季節が、こいつのおかげで台無しだ。
 僕の花粉症歴は僅か四年。五年前の春には、花粉症がこんなにも苦しいものとは思いもしなかった。天気予報で翌日の花粉飛散予想の原稿は読み上げても、「こんなものが本当に必要なのか」と懐疑的だった。だが今の僕は、視聴者以上に必死の形相で飛散予想図を睨み倒している。
 そんな花粉症からほんの一瞬逃れて春の訪れを楽しんだのが奥飛騨温泉郷ロケ。僕がパーソナリティを務める『発見!わくわくMY TOWN』(東海テレビ・土曜夕方)でのこと。
 雪深い山里にもようやく春が訪れ、残雪に陽の光が反射して谷一杯に光が溢れる。露天風呂にゆっくりつかれば、極楽、極楽。
 でも僕は、幸せな時間が長く続かないことを知っている。切り立つ山々には、杉林が見えるんだよな。

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