週刊新潮 四月十七日号
「石原良純の楽屋の窓
」
245回
三十年ぶりに画伯
近景、遠景、背景、どこから手をつけたらいいのか。明るい色、暗い色、どんな色から先にキャンバスに置いていけばいいのか。
僕はイーゼルの前で、途方に暮れていた。
小、中学生の頃は、絵の先生に通い、高校では、美術を選択したが、僕が絵筆を手にするのは三十年ぶりのこと。
『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系・日曜夜)の”カンボジア学校建設プロジェクト”がきっかけだった。
番組では、有名人が描いた絵をオークションにかけ、その収益でカンボジアの子供達のために学校を建設するという。ゲストパネラーで番組に出演している僕にも、作品提供の依頼が。
新年早々に舞い込んだこの話。いくら企画の趣旨に賛同しても、一、二週間で絵を描けと言われれば、尻込みしてしまう。でも、提出期限が三月末となれば、「僕にも、できるかも」と根拠のない自信が湧く。そんな僕の”先送り体質”のツケが、桜の花が咲き誇る春の宵に、一気に廻ってきたわけだ。
だいいち今回の作品展、お題は作者任せ、というのも不親切な話だ。花瓶や果物をテーブルに並べ、三十年ぶりに静物画を描くというのも唐突な感じ。いきなり自画像というのも、自意識過剰で気持悪い。
僕の頭に思い浮かぶ絵といえば、まずは富士山か。
でも、富士山は万人に描き尽くされている。今さら稚拙な僕の筆で富士山を描いたら、小学生の夏休み作品と比べても見劣りするに違いない。
ならば、人に知られていない山を描けばいい。僕の目は、寝室のベッドの脇に掛けてあるキリマンジャロの写真に留まった。
標高五八九五メートルのキリマンジャロは、アフリカ大陸の最高峰。あらゆる生命を拒絶する荒涼とした砂漠が、巨大な火山の火口壁まで続く。山の頂には、赤道直下にも拘らず氷河の冠が、薄い空気を貫く太陽光に白く輝く。頭上の空は、成層圏にもほど近く、一際、青さを増す。僕の人生最大の冒険だったのだから、三十年ぶりの絵の題材にしても遜色なかろう。
空の青さにひかれて、とりあえずキャンバス一面を青く地塗りする。”地塗り”という知恵が浮かぶ辺りが、絵画経験者の片鱗というものだ。だが、鉛筆で山の輪郭をデッサンしたところで、作業はパタリと止まってしまった。
アクリル画材一式を提供してくれた画家の弟、延啓は、助けを求める僕に、至って冷たい。
「自分の感じたままに、描けばいいんだ」
そんなこと言われても、感じたままを絵に出来るのならば、誰もはじめから助けは求めない。
思えば、僕の絵画人生は人に助けてもらってばかり。絵の先生のアトリエでは、兄弟でふざけあってばかりいた。それでも次の週に教室へ行くと、なぜか作品はどんどん進んでいた。
「まず、思った色を大胆に置いていけば良い」
こんなアドバイスも僕には通じない。なにしろ僕は、”大胆なタッチ”というのが特に苦手だった。色を濃淡ないように満遍なく塗るのが僕の手法。
「ペンキ屋さんのようだ」と、中学の美術の先生に褒められた覚えがある。
期限を三日超過して、僕の絵は完成した。近寄って見ると粗が目立つが、二メートルも離れれば、そこそこ見られるかもしれない。
でも、僕の作品と並ぶのは、加山雄三さん、片岡鶴太郎さん、石坂浩二さん、工藤静香さん……。皆さんプロばかりではないか。
いやいや、一生懸命に描いたのだから、恥ずかしくないもん。
チャリティーオークションは、四月二十七日に開催される。詳しくは、番組のホームページで。
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