新潮
TOP
NOW
PROFILE
WORK
MEMORY
JOURNEY
SHINCHO
WEATER
CONTACT

 

 

 

 

 



週刊新潮 四月二十四日号
「石原良純の楽屋の窓 」
246回
カンペのおかげ

「この番組は、自分の何気ない日常の行動が、世間の常識といかにかけ離れているかを……」
『お茶の間の真実』(テレビ東京系・月曜夜)で司会を務める僕は、カメラ目線でスラスラと番組の趣旨を説明する。これすべて、カメラレンズの直ぐ下でFD(フロアディレクター)さんが広げてくれているカンペのおかげ。
 司会者とFDの息が合わないと、番組はオープニングからギクシャクする。
 先日のある特番の収録でのこと。新人のFDさんが司会のみのもんたさんのしゃべりに付いていけず、カンペのどこを開いていいやら大慌て。大きな模造紙のカンペをバラバラ床に撒き散らし、最後には頭と両腕にカンペを載せて雪だるまのようになっていた。収録の後半、彼の姿はスタジオから消えていた。
 カンペといえば、誰もが学生時代の期末テストを思い出すに違いない。
 でも、カンニングペーパーを綿密に作ってくる奴に限って成績は上らないものだ。鉛筆の表面を削って文字を書き込み、カバーを付ける。消しゴムをくり貫いて中に紙を巻くローラーを取り付ける。朝まで寝ずに作ったという自慢の迷器の数々を友人に見せられたが、試験時間中の彼は、眠気で目は半開き、一向に手元の答案用紙は捗らない様子だった。
 小心者の僕には、カンペは縁遠い存在だった。
 なにしろ、カンペ片手でカンニングを取り抑えられたら言い逃れできない。その教科は0点で、他教科の評価も一ランクダウン。当然、落第となる。
「落第したら退学」と公言していたウチの親父に、学校を辞めさせられるのを真剣に恐れていた。
 そんな僕が頼りにしていたのは”ツクピューター”。大学の机には先人達がびっしりと刻み込んだ細かな文字。一見、模様のように見えるが、目を凝らせば、語学の活用表やら、数学の公式やら、必ずその日の試験に必要な資料が見つかる。不足は、空きスペースに書き足したりもして。
 統計学の期末試験では驚いた。出題の説明に教室を巡って来た担当教授が開口一番、「机を検査する」と告げた。
 途端に、教室の学生全員が一斉に消しゴムで机を擦りだす。ガタガタ、ガタガタ、数十の机が揺れれば窓枠も共鳴する。教室は、まるで地震が来たような騒ぎとなった。
 すると老教授は、憮然とした表情で教室を見廻し、何も言わずに立ち去った。それは毎年、繰り返された景色に違いない。
 絶対に、僕らが悪い。それでも、公式をいくら頭の中に叩き込んでも、目の前に書いてあると思うだけで落ち着くものなんですわ。
 目の前にあると落ち着くのは、ドラマの台詞も同じ。でも、芝居をしながら文字を追えるものではない。刑事ドラマの淡々とした報告台詞でさえ、小道具の警察手帳や調書に書き写した台詞を読み上げると、なぜか芝居の間尺が合わなくなる。
 役に立たないカンペで思い出すのは、裕次郎叔父が生前の芸能生活何十周年だかの特番。
 歌のコーナーでは、裕次郎叔父、渡哲也さん、舘ひろしさんが次々にヒット曲を披露する。『夜霧よ今夜も有難う』、『くちなしの花』、『泣かないで』の歌詞のカンペは本当に必要だったのだろうか。
「カンペが見にくい」とか一応は指示されていたが、本番でカンペを頼りにしていたとは思えない。だって、カラオケに出かけると、皆さん譜面も画面も見ずに、気持よく熱唱されていたのだから。
 そして、『お茶の間の真実』で、長嶋一茂さんにカンペでサインを送っても無駄ですよ。一茂さん、「野球でも、番組でも、サインは嫌いだ」と言ってたもん。

<<前号 次号>>
 

<<前号 | 次号>>
 
ページのトップへ