週刊新潮 七月十日
「石原良純の楽屋の窓
」
256回
痒い花
早朝のジョギングでも、息子の手を引き幼稚園に送る道すがらも、仕事場へ向う車窓からも、紫陽花の花に目が留る。
この何年かの梅雨といえば、梅雨入りしてからも、やたらと晴れの日が多かった印象がある。しかし今年の梅雨は、梅雨らしい季節を感じさせる。
今年の梅雨は、冷たい北東風に乗って霧吹きのように細かな雨が降る。雨が降らぬ日でも雲が低く垂れ込めて、灰色の空と街との境界は定まらない。そんなモノトーンな景色に紫陽花が唯一、彩りを添えてくれている。
そして今年の紫陽花は、赤い花が増えたように、僕には思える。
「紫陽花の花が青いのは、酸性が強いから。花が赤いのは、アルカリ性が強いから」なんていう話を聞いた覚えがある。大気汚染の酸性雨が降る東京では、青い花が多くなるとばかり思っていた。
街角で見かけた、そんな疑問を僕は、『FNNスーパーニュース』のお天気コーナーで報告する。
紫陽花の花の色は、アントシアニンと補助色素、そして土に含まれたアルミニウムで決まるのだそうだ。
アントシアニンと補助色素は、紫陽花の中で作られるが、アルミニウムは養分と一緒に根から吸収される。土壌が酸性だとアルミニウムが溶けやすく根から吸収されやすい。アルカリ性だと溶けにくく吸収されにくい。土壌の性質で、花の色は変わるわけで、今年に赤い花が増えたわけではないようだ。
今にも雨粒が落ちてきそうな空の下、蒸した空気に包まれた街の木陰や池のほとりに、紫陽花は陽射しを嫌い湿気を好んで群生する。
咲き誇る花に近づけば、人間と同じく紫陽花の生気に引きつけられた虫が、花や葉の周りを乱舞していることに気づく。
葉っぱの上のカタツムリは御愛嬌でも、小さな巣にくっついた水滴を払う蜘蛛や地べたを這うダンゴムシはかわいくない。うっすらと汗の滲む肌に、重たそうに飛んで来た小さな羽虫がくっついたりもする。
紫陽花がグラデーションで赤から青に表情を変えるのは、大人にとっては綺麗でも、子供の僕には薄気味悪かった。パラパラと雨粒が落ちて来ると紫陽花は湿気を吸って一段と妖気を漂わせる。
紫陽花の妖気というのも、あながち間違いではないようだ。紫陽花の葉には青酸成分が含まれている。料理の彩りに出された葉を口にして、集団食中毒を引き起こしたという事件が先日、話題にのぼっていた。やっぱり紫陽花は、ガラス窓越しに眺めたほうが無難なような気がする。
ならば、お天気コーナーで紹介した箱根登山鉄道の夏の風物詩『夜のアジサイ電車』か。麓の箱根湯本から終点の強羅まで、約一万株の紫陽花がライトアップされる。電車は停止や徐行をくりかえし宮ノ下駅では十分停車するから、じっくり花を観賞できる。
箱根登山鉄道はスイッチバックを駆使し、急勾配を登る日本有数の登山電車。あじさい号は、紫陽花ファンも鉄道ファンも一挙両得というわけだ。
今年は、僕にとって紫陽花の当たり年。番組ロケで鎌倉の紫陽花の名所、成就院にも足を運んだ。
両側に色とりどりの紫陽花の花が咲き乱れる長い石段を登れば、頂上に近づくほど風が心地良い。
院の門前に辿り着き、ふっと息をつき振り返ると、背後には初夏の鎌倉の海が広がっていた。
紫陽花を愛でる僕は、少し大人になったかも。
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