週刊新潮 九月十八日
「石原良純の楽屋の窓
」
265回
ハニカメず
先週の水曜日、『フジサンケイ クラシック』のプロアマ戦に参加した。決戦の舞台は、数々の名勝負を生んだ静岡・川奈ホテル富士コースから三年前に、山梨・富士桜カントリー倶楽部に移っている。
富士桜は、川奈以上にタフなコースだ。広大な富士の裾野に広がるコースは、どこに立っても傾斜がある。ティーグラウンドから見渡すフェアウェーは、両脇に並ぶ赤松やカラマツの原生林に威圧され、実際よりもずっと狭く見える。そして、球を少しでも曲げれば深いラフが洋芝特有の粘っこさで選手を苦しめる。
今回、僕にはゴルフの前に、もう一つの楽しみがあった。おばさん趣味といわれても、石川遼選手に会うこと。前夜祭には仕事で間に合わなかった僕だが、朝一番にゴルフ場のクラブハウスで遼クンに出会えた。
「テレビで観ているので、初めてお会いした気がしません」
「石川選手」と、僕が声をかけると遼クンは、握手を交わしながら淀みなく言葉を返してくれた。その落ち着いた態度は、到底、十六歳とは思えない。
十六歳の僕はといえば、部活をサボって麻雀してた。大人と満足に言葉を交わせたとは思えない。
遼クンは、同じ高校生でも、各界から招待されたプロアマ戦のゲストや、日本のトッププロに交ざって、物怖じする様子もない。すっかりプロツアーの一員の顔でクラブハウスを闊歩していた。
握手を交わしたその手は、厚みのあるプロゴルファーの手をしていた。豪快なスイングを支える体は、一流アスリートに相応しい均整のとれた筋肉質。それでも、これからまだまだ大きくなるぞ、と伸び盛りの気配を漂わせる。唯一、ハニカミ王子の名の通り、はにかんだ笑顔に少年のあどけなさを残していた。
さて、プロアマ戦はスクランブル方式。プロ一人とアマチュア三人全員が、ティーショットを打ち、その中のベストボールを選択する。セカンドショットも、パットも、ベストをチョイス。となれば、大方は青空を切り裂いて一直線にピンへ飛ぶプロのボールを選べば済む。アマチュアの僕らは、気持ち良く一打一打をフルスイングする。
スコアーは、パッティングの出来次第。ところがプロトーナメントのグリーンは、日頃プレーするグリーンの倍もボールが転がる。ほんの少し触れただけで一メートル軽くオーバーすることもある。その上、広大な富士山の裾野の傾斜は、僕らの視覚を麻痺させる。打った球が自分の意図とは全く違った動きをする、と思わず笑ってしまう。
だからボールがグリーンに載ったら、まず富士山の位置を確認すること。自分の目に傾斜がどう映っても、ラインは富士山から順目の下り、ボールは勢いよく転がっていく。
グリーン上の僕も、まず雲の合間から顔を覗かせる富士山を仰ぎ見た。
そういえば、今年の富士山の初冠雪は、八月九日。大正三年の八月十二日を抜いて、九十四年ぶりに最速記録を更新した。今年の富士山は、秋の訪れが早いということか。
その一方で、富士山頂付近の地表下に存在する永久凍土が、温暖化の影響で消滅しつつあるという話を聞いた。シベリアの大地と同じく永久凍土が日本にもあることにも驚くが、自然界にあるべきはずの凍土が、人間の営みのせいで消えて無くなろうとしているのにも驚く。
富士山の未来は、日本の未来は、そして地球の未来は……。一抹の不安を抱えながら放った僕のバーディーパットは、大きく曲がり大きくオーバーした。
この日の僕は、ショットも、パットも、良いところなし。チームに貢献することなく、地味に終った。
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