週刊新潮 十月二日
「石原良純の楽屋の窓
」
267回
廻れ、ルーレット
一県賭けで正解ならば、賭け金の払い戻しは五十倍。県境を跨いで二県賭けは、二十五倍。安全に東・西日本に賭ければ、倍返し。
大きな日本地図にチップをベットして、VTRに紹介された都道府県名を当てる。僕の大好きな地理と、僕の大好きなルーレットが合体した『一攫千金!日本ルー列島』(フジテレビ系・金曜夜)は、一度は参加したかった番組だ。
小学校三年生では、日本地図を切り抜いてパズルで県名を覚えた。高校三年生の選択授業では、九百名中十八名しか履修しなかった”地理B”を選択した。
新幹線に乗れば路線図。飛行機に乗れば航空路図。そんな地理好きは、僕が気象予報士となった一因でもある。
一方、最近はルーレットには、とんと御無沙汰だ。
まず、海外に出る機会が少なくなったこと。多い時には年に十度も外国へ出かけて、カジノにも行ったが、去年はゼロ。今年もこのまま、おそらくゼロ。
そして、体力が落ちたこと。どんなに撮影が大変で終りが遅くとも、海外ロケの最後の夜は、必ず勝負に出かけたものだ。高山病に苦しんだエベレスト街道から帰り着いたネパール・カトマンズでも、蚊とハエに追われたパラワン島から戻ったフィリピン・マニラでも、カジノは休まなかった。
ところが、最近は疲れを振り払ってカジノへ出かける気力が湧かない。
昨年のソウルロケは、朝から深夜までの強行スケジュール。翌朝は、朝いちのフライトで日本へトンボ返りする。在韓時間、僅か二十四時間のハードロケ。それでも、十年前ならば絶対に夜明けまでの数時間、カジノに出撃していたに違いない。
異国の言葉が飛び交うカジノは、きらびやかな大人の社交場。僕にとっては、映画で観たジェームズ・ボンドの世界だ。
決して大金を賭けるわけではないが、時に歓声を上げ、時に溜息をついて、賭博場の登場人物の一員となることが、ずっと僕の憧れだった。
賭博は、万国共通語。ルーレットを囲めば、言葉は通じなくとも、人は時間と空間を共有できる。
南米ウルグアイのカジノは、一九五〇年代の繁栄からそのまま取り残されたシックな佇まい。今にもショーン・コネリーの初代ジェームズ・ボンドが現れそうな気配だ。
電光表示など一切ないから、ディーラーがルーレットの当たり数字をスペイン語で叫んでも、僕にはさっぱり分からない。人垣を掻き分けて自分がベットした数字を確認すると、山とチップが積まれていた。そんな僕に周りは羨望のまなざし。それからは、僕のベットを参考に皆も賭け始めた。
イギリスは、賭け事の国。ロンドン市内には、高級ホテルにある高級店から、繁華街にある大衆店まで数多くのカジノがある。
でも、パリ、マドリッド、アテネでは、車で郊外へかなり走らないとカジノには辿り着けない。
アテネの市内から高速を一時間近く走ってもカジノに着かない。場所をタクシーの運転手に尋ねると、遥か山の上の一つの明かりをドライバーは指差した。目的地のカジノは、夜霧にかすむスキー場のロッジのようだった。
オランダは市内に出なくても、空港内にカジノがある。アムステルダムのスキポール空港は、ヨーロッパのハブ空港。日本から到着し、時差で頭がぼんやりしていても勝負を楽しめる。僕は次のフライトまでのほんの一時間、ほんの百ドル負けても、ちっとも腹が立たなかった。
やっぱり、カジノは楽しいな。でも、海外には行けないし。
あれっ、「日本にもカジノ」って、どこかの知事が言っていなかったっけ。
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