週刊新潮 十一月六日
「石原良純の楽屋の窓
」
272回
激走、秋の金沢
特別招待選手の赤いゼッケンを付けた僕は、『金沢百万石ロードレース』のスタートラインの中央最前列に陣取った。
日本三名園の一つ、兼六園をスタートして市内を巡る市民マラソンには、ハーフマラソン、十キロ、五キロ、二キロの部が設定されている。僕が参加したのは、五キロの部。
暇をみつけては、十キロ、十五キロと走っている僕にしてみればハーフマラソンの二十一キロなどは恐れるに足りない。だが、表彰式のプレゼンターが、万が一にもコース途中で行方不明になってしまっては、主催者の石川テレビさんが困る。
それにレースは、十九キロ地点・一時間五十分で打ち切られる。一キロ当たりほぼ六分のペースで走るのは、問題ないような、ちょっと間に合わないような。僕レベルの市民ランナーにとって実に微妙なタイムだ。
審判員にレース中止の指示を受けたら、速やかに歩道にあがり、ナンバーカードをはずさなければならない。ゴール目前のリタイヤは、どれほど口惜しいものだろうか。
審判員に制止された僕は、きっと歩道に倒れ込み手足をバタつかせ「走らせろ」とダダをこねるに違いない。招待選手のゼッケンつけて、そんな醜態を曝すわけにはいかない。僕は、ハーフマラソンを断念した。
大会の参加者総数は、約千八百人。そのうち五キロの部を走るのが、約四百人。交通規制されたバス通りの道いっぱいに広がってスタートの合図を待つ集団の先頭は、いかにも身軽そうな陸上選手が占める。日焼けした顔、ヒョロリと伸びた褐色の手足は、ウチの長男・良将と同じ”ゴボウ君”揃いだ。
五キロの部には、高校生女子と中学生男女の陸上部員が数多く参加している。彼らにとってレースは、秋の楽しい休日の一頁ではないようだ。タイムを狙い、順位を競う。スタートラインの向こうを見据えた彼らは、握った拳でパンパンと軽く体を叩き、ウォーミングアップの行き届いた筋肉に最後の刺激を与える。
”たかが五キロ”と侮っていた僕も、慌てて準備体操。真似して体をパンパン叩いてみると、体も気持も引き締まる。集団の後方に固まる一般参加のおじさん達を眺め、「あいつには負けない」と値踏みして密かな闘志を燃やしていた。
「スタート十秒前」の掛け声とともに集団はスルリと数メートル前進し、スタートラインに辿り着くと号砲一発レースはスタートした。
先頭集団の皆は、僕の目には全員ダッシュしているように見える。僕も女子供に負けじと大きく手を振りストライド走法で人の流れに食い下がるが、重い体はろくに前に進みやしない。後ろから人に突き飛ばされやしないかと心配になった。
兼六坂上から兼六園下の交差点まではかなりの下り坂。まだ充分に暖まっていない体に急な下りは応える。バラバラと大股開きで坂を下れば、膝や腰の継ぎ目がギクシャク悲鳴を上げる。
四十過ぎたら体はもう若くない。体に不足した栄養素は、外から補わなくては。「膝痛、腰痛にはコンドロイチンZS錠がよく効く」と、自分が出演するコマーシャルが頭に浮かぶ。
当日は絶好のスポーツ日和に恵まれた。戦災も震災も免れ、古都の趣きを色濃く残す金沢の街と、雲一つない秋晴れの空のコントラスト。息が上がって突き出た顎の彼方に広がる青い空を見て”女心と秋の空”なんて言葉が頭を過る。
「くよくよ迷って決断がつかないのは男でしょ」とは、『FNNスーパーニュース』の安藤優子さんのお言葉。
次々に言葉が現われては消える。そして無の境地に達するのが走る醍醐味。金沢の街で僕はまた一つ悟りを開いた。
よし、来年はハーフマラソンに参加するか。
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