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週刊新潮 十一月十三日
「石原良純の楽屋の窓 」
273回
落ちこぼれ

「先生。もう一回、最初からお願いします」
 僕がいつになく真剣な眼差しで、IWAO先生にレッスンの延長を懇願するのは、NHK『趣味悠々』(月曜夜放送)”すぐに弾ける!たのしいウクレレ”講座の収録でのこと。
 カラオケに出かけても、シートに転がるマラカスも振れなければタンバリンも叩けない。僕が楽器を奏でるのは、中学校の音楽の時間以来のことだ。
 中学生の僕は、ソプラノリコーダーをちゃんと練習して期末テストに臨んだ。課題曲をマスターするのに、たいして時間はかからない。練習時間と成績の費用対効果を考えれば、竪笛の練習は充分、割に合った。
 そんな小猾い知恵の働かなかった小学生の僕にとって、音楽の時間は悲惨なものだった。笛やハーモニカが吹けなくて、教室の黒板の前に引きずり出され、クラス全員の前で恥をかかされた。
 その僕が三十余年ぶりに楽器に挑むことになったのは、「ウクレレの仕事、入りましたから」という、マネージャーの素っ気ない一言からだった。
「えっ」と絶句した僕は、短い時間に脳ミソを目一杯動かして考えた。
 ここでウクレレの申し出を断ったら、一生、楽器と接点を持つことはなかろう。取り敢えずやってみるか。清水の舞台から飛び降りる気分で依頼を受けた。
 でも案外、ウクレレは僕にとって縁遠い存在ではなかったかもしれない。
 子供の僕が聞いていたのは、♪あ〜あ やんなっちゃった あんあ 驚いた♪の牧伸二さんばかりではない。逗子の家の夏のパーティーには、バッキー白片さんをはじめとするハワイアンバンドがやって来た。アロハシャツの見慣れぬ一団が奏でる子供心にもどこか甘美な音色を聞いていた。
 なにしろ、石原慎太郎が『太陽の季節』で世に出た、昭和三十年代はハワイ音楽の大ブーム。
 だが、若大将がワイキキの浜辺でスミちゃんに弾き語りしたのを最後に、ウクレレは表舞台から消えた。それがこの十年、また密かなブームとなっているのだそうだ。
 ブームのキーワードは、”癒し”。ウクレレの持つ癒しのサウンドを時代が見逃さない。僕が天気予報で言う”海や山より、最も身近な大自然、空を見よう!”の精神に近いウクレレに、僕は、親近感を覚えぬでもない。
 右肘を締めて、左手と胸の辺りの三点で、楽器を押さえる。
 ギターをはじめ、弦楽器などにはロクに触れたことのない僕のレッスンは、まずはウクレレの持ち方からのスタート。弦が四本だということも、もちろん知らなかった。
 右手で弦を奏で、左手でコードを進行する。でも左右が連動しやしない。特に、左手。四本の弦を押さえる指が、僕の目には海底の土管にひしめく間抜けなアナゴに見える。だいたい左手の薬指や小指など、生まれてこの方、役に立ったことなどなかったに違いない。
 僕の悪戦苦闘する姿に、本番収録中にもかかわらずスタッフが大爆笑。僕がやる気を無くして落ちこぼれたら困るのは制作サイド。「笑うな! 落ちこぼれるぞ」、がすっかり僕の口グセになってしまった。
 でもそんな僕は、テレビ講座の生徒役にはもってこいのようだ。いかに不器用な僕でも、レッスンで少しはちゃんと音が出るようになってくる。”石原にもできるのだから”と思ったスタッフが、撮影の休憩時間には先を争ってウクレレを練習している。
「先生、もう一回」、と僕のやる気を、「もういいんじゃない。楽器は急には上達しないよ」と先生は窘める。
 えっ、番組タイトルに、”すぐに弾ける”って書いてあるけど……。

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