週刊新潮 十二月十八日
「石原良純の楽屋の窓
」
278回
ウイルス禍
「暗いのイヤ〜朝はまだ」
深夜、帰宅すると長女・舞子の泣き声が廊下の奥から聞こえてきた。
長男・良将に続いて、舞子もウイルスに感染し腹痛を発症した旨の妻からのメモが。
和室の襖をそっと開けると、オレンジ色の豆燈の薄暗い光のなかに、妻が洗面器を抱える舞子の背中をさすっているのが見えた。
波状的に痛みに苛まれるのだろう、症状が一段落している間、お腹の不快感を言い現せない舞子は、しきりと夜の恐さを訴える。
闇を恐れるのは動物の本能。僕は夜駆けで山頂を目指し、高山病の吐き気に苦しんだキリマンジャロ登山のことを思い出していた。あの時、インド洋の東の空に朝日が昇った時、どんなにホッとしたことか。
のんきに昔話に浸っている場合ではない。でも、僕には、「大丈夫だよ」と舞子に話しかけるほか、なすすべはなかった。
そもそも今回のウイルス騒ぎの発端は、前々日の深夜、良将がトイレに駆け込んだところから始まった。幼稚園からか、それとも予防接種に出かけた医院からか知らないが、病気を我が家に持ち込むのは大方、良将と決まっている。
あいつは、目玉焼きもウインナーも食べない。朝食といえば、納豆、しらす、玄米のメニュー。ダイエットには持ってこいかもしれないが、育ち盛りの男の子に栄養素は足りるのだろうか。肉や玉子を食べないから、菌やウイルスを拾いやすいと僕は断定する。
ところが、何でも食べる雑食の舞チャンまでウイルスに冒されてしまった。
彼女は、自分のお椀の玄米よりも、僕のお皿のハムエッグに手を延ばす。塩っぽいものも大好きで、毎朝一個の梅干しを舞子と僕で分け合っている。今朝も「私が梅干しを分ける」とばかりに、口で梅干しを千切ってはペッぺッと僕のお椀に破片をわけてくれた。
だから僕の体にも、ウイルスがいるに違いない。発症するのか、しないのか。症状は子供より重くなるのか、軽いのか。恐ろしくってオチオチ酒も飲めやしない。僕は粛々と暴飲暴食を慎む日々を送っていた。
それにしても、本格的なインフルエンザのシーズンを目前に、我が家の防疫体制がいかに脆弱なのか思い知らされた。巷では、鳥インフルエンザの脅威が差し迫っているというのに。
先日、僕は『近未来×予測テレビ ジキル&ハイド』(テレビ朝日系・日曜夜)で、今そこまで迫り来る、鳥インフルエンザの危機についてレクチャーを受けた。
鳥類の間で流行している強毒性のH5N1型ウイルスが変異して、人への感染が世界各地で確認されている。そして次の段階、人から人へと感染する新型に変異する日は遠くない。
一人の日本人が新型ウイルスに感染し、気付かずに帰国する。十四日目には感染者は全国で約三十六万人にも及ぶという試算がある。
日本の罹患者数は、推定三千二百万人。死者は二パーセントと見積っても、六十四万人に達する。しかし、新型ウイルスの強毒性を考えると、死者はさらに増えるとも言われている。
手を洗って、うがいして。そんなことでは到底、予防できない。予防の決め手は、ワクチンの備蓄と接種計画にあるという。
プレパンデミックワクチンは、発生前に用意するワクチン。発症を完全に防ぐことはできないが、重症化は防げるという。
治療には、タミフルの早期服用がポイント。特効薬ではないが、ウイルスの増殖は防げる。
しかし、いずれも国民全員分の備蓄はない。となれば、病魔が去るまで、家に籠城するほかない。専門家は、真顔で食料と水の備蓄を奨めていた。
その前にウチでは、良将に肉を食べさせなければ。
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