週刊新潮 二月十二日号
「石原良純の楽屋の窓
」
285回
続アンポンタン
「良純さんの財布、落としました」と、マネジャーの衝撃告白。
そういえば、さっき彼はガードレールに腰かけて、狭いロケ現場に入りきれないスタッフと談笑していた。お尻のポケットから顔を覗かせていた財布が、まさか僕の財布だったとは。お尻のポケットから財布ポロリとは、あまりに古典的な光景で芸がなさすぎる。
石原プロの小林正彦専務が、「ワシの財布は、絶対に落ちんのじゃ」と豪語されていたのを思い出す。
ポケットから身を乗り出すようなプックリ膨らんだ黒革の財布は、表面に棘が施された特別仕様。スパイクタイヤのように、ズボンの生地をしっかり捉え、他人がポケットから財布を引き抜こうとしても抜けるものではない。
それに比べて僕のルイ・ヴィトンの二つ折り財布は、お上品に表面ツルツル。油断していればポケットからあふれ落ちる。
実はこの財布は二代目。初代は、ある日、僕のお尻のポケットから消えてなくなった。
忘れもしない三年前の浅草ロケ。陽射しがなく北風が街に吹き荒び、足元から体を凍らす真冬の日のことだった。
休業日の遊園地『浅草花やしき』に到着した僕は、いつもならば財布をマネジャーに預けるところだが、「まっ、いいか」となぜか思って車を降りた。その日、財布に一万円しか入っていなかったからなのか、自前の財布をポケットに突っ込んでいても芝居はできると思ったからなのか。「魔が差す」というのは、こんなことなのだろう。
ロケが無事終了し、メークも落とさず、天気予報に向かうため車に飛び乗った僕は、着替えた私服のポケットに財布がないことに気がついた。
こんな時は、騒いではいけない。まだ撮影が続いている現場の皆に迷惑がかかるから。
そ知らぬ顔で現場に舞い戻り、ひとりで控え室やメーク室、ロケバスの中を見て廻る。
「冗談でしょ」と頭の中で自分自身に笑ってみる。
「どうかしました」とメークさんの声。つくり笑顔の僕の顔色は、青白かったに違いない。最後は、自分の車の中をもう一度、足マットまで剥がして探しても、財布はみつからなかった。
大人が財布を落とすとやっかいだ。まず、クレジットカード会社に電話して止めてもらわねばならない。手元に新しいカードがやって来て買い物できるまで一カ月以上かかる。免許は、鮫洲の試験場まで出向かねばなるまい。お守りは伊勢神宮に代って近所の氷川神社から頂いても、原状復帰までに二カ月はかかる。
子供の頃、さんざん船酔いに苦しんだ挙句、ライオンの形をした財布を親父のヨットのキャビンで失くした。その時の悔しさ、情けなさを今もはっきりと覚えている。それでも損失額は三百円。
財布のレギュラーメンバーが揃うまで、浅草のロケ現場に到着したあの寒空を思い出す日々が続いた。
ところがこの冬、事態は思わぬ展開をみせた。
年末に衣類の大整理をしていた僕は、スラックスのポケットに異物の手応え。中に手を突っ込んでみると、出てきたのは、なんと三年前に失くした緑色のヴィトンの財布。中にはカード、免許証、そして一万円札が一枚ちゃんと入っていた。
一万円の臨時収入。「こんなことならば、十万円入りの財布を落しておくべきだった」なんて笑ってもいられない。安本丹な自分に、自己嫌悪に陥ってしまった。
ふとテレビを見れば、『中井正広のブラックバラエティ』(日本テレビ系・日曜夜)で、”おでん大使”の僕が、熱いおでんを頬張ってあっちっちっち。
おいおい良純、四十七歳だろ。しっかりしろ。
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