週刊新潮 三月十九日号
「石原良純の楽屋の窓
」
290回
ママチャリ駆ける
戦後二番目の暖冬だったとはいえ、まだまだ春浅い寒空の下、季節はずれの半袖姿で、僕がママチャリに跨がっているのは、東京都庁舎前。
二十余年前、『太陽にほえろ!』の新人刑事だった僕が、絶対に追いつくことのない容疑者の車を追って走った道を、今回はママチャリで疾走した。
『東京マラソン2009』の前日、三月二十一日放送の『東京マラソン誕生物語』(フジテレビ)は、実写とドラマで構成される。
知事の鶴の一声で始動した大プロジェクト『東京マラソン』。実務を担当し、日本初の大型都市マラソンを実現した都庁職員の物語だ。
東京マラソンの成功は、都の職員全員の力、特定のヒーロー誕生を嫌う役所にあって、「東京マラソンのことならば」と、誰もが一目置く人物がいる。
早崎道晴さんは、当時の東京マラソン事務局事業部長。その早崎さんがドラマの主人公だ。
東京マラソン以前、都立高校の事務室長など教育関係の仕事をしていたという早崎さんは、スポーツは苦手。マラソンは、テレビで観たことがあるくらい。
競技運営は、日本陸連などがする。都の職員として早崎さんが取り組んだのは道路に関係すること。
道路といっても、国道は国土交通省、都道は都の建設局、区道は区役所とそれぞれの道路管理者と掛け合わなければならない。
それよりもまず、大会当日は交通規制を敷くから、交通管理者である警視庁との折衝が必要だ。そのためには、コースを策定し警視庁から基本的な了解をもらわねばならない。この第一段階が一番苦労したという。
海外の一流アスリートから、”初めて走る人”まで、三万人が参加する市民マラソン。より多くの人に完走してもらうには、制限時間をできるだけ長くする必要がある。国内のマラソンで通常五、六時間のところを、交通の要所であり、人口密集地の都心部で七時間は車を止めたい。
でも、交通障害を最小限に抑えたい。
同時に、観光各所をコース上に配し、東京の魅力を国内外にアピールしたいという都の思惑もある。
また、急カーブや急勾配を避け、なるべく平坦で一流選手が走りやすいコースを望む陸連の要望にも応えなければならない。
逆に東京だからやりやすかった面もあったという。マラソンコースを地図上で眺めれば、だいたい地下鉄の上を走っていることに気づく。地下鉄には出入口があるから、それを街の人がコースを横切る地下道として利用できる。また、途中でリタイアしたランナーの移動の足ともなる。もちろん、陸橋がある立体交差の道路や歩道橋も積極的に利用したという。
でも、地図を眺めただけでは、道路や街の様子を完全に把握することはできない。そこで登場するのが、ママチャリだ。早崎さん自身が奥さんのママチャリで、都心の主要な道路を実際にすべて走った。
休日の都会をママチャリが疾走する。コースをあれこれ考えながら走る行きはいいが、自宅から遠く離れてしまった帰り道が辛かった。最後には、奥さんのママチャリを乗り潰してしまったという。
早崎道晴役の僕も、新宿、銀座、六本木をママチャリで駆ける。早崎さんは夏。僕は冬。夏の日の炎天下の街を走るのも辛かっただろうが、北風が吹き荒ぶ街を走るのも辛い。その上、シャツの胸元に滲んだ汗も必要だから霧吹きで水を吹き掛けられた。
良く言えば発想力豊か。悪く言えば、我儘な知事の一声に始まり、早崎さんをはじめ大勢の皆さんの汗と努力で実現した東京マラソン。今年も三月二十二日、三万五千人のランナーが都心を駆け抜ける。
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