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週刊新潮 三月二十六日号
「石原良純の楽屋の窓 」
291回
花粉に負けず

「入りませんね」
 医者がすまなそうに囁く。でも、診察台に横たわっている僕は応答しない。三度、喉に麻酔スプレーを吹き掛けられた口が廻らないから。
 内視鏡検査前の麻酔の注射針がうまく静脈に達しないのは、検査結果の不幸を予感させるようで縁起が悪い。患者にとって結果が気懸かりな検査は、スムーズにスタートしてもらいたいものだ。
 胃が痛みだしたのは、昨夜、帰宅してからのことだ。胃の中で誰かが両腕を突っ張るような鈍い痛みで、一晩中ロクに眠れなかった。
 昔なじみの急性胃腸炎だろうか。二十歳の頃には、飲み過ぎ食べ過ぎで胃がシクシク痛むことが度々あった。医者に行って尋ねられると、原因がすぐに思い当たった。
 でも、最近の僕の酒量といえば、ワイン一本もしくは日本酒四合瓶一本。決して少なくはないが、ウイスキーやブランデー、ジン、ウォッカなどハードリカーに手は出さない。それに週に一度は必ず休肝日を設けている。
 ならば、神経性胃炎ということか。ストレスの原因は何だろう。日経平均のバブル以降最安値更新も、長男・良将が三年通ったサッカー教室でちっとも上達しないことも、僕はさして気にならない。
 そこで僕の頭に、この胃痛も花粉症が原因なのではないかという疑念が湧いてきた。
 今年の僕の花粉症の発症は、二月十四日とはっきり記憶している。静岡や小田原で最高気温が二十五度を超える夏日を記録し、全国百五カ所で二月の最高気温を塗り替えた日だ。気温上昇で開いた杉の蕾から花粉が宙を舞った。
 三重と岐阜の県境に近い山里でロケをしていた僕は、気がつけば杉林にすっかり包囲されていた。よせばいいのに阿呆なスタッフが、枯木の枝で花粉色に黄色く染まった杉の枝をつっ突いた。不気味な形に煙幕が立ち上る。こんな恐いもの見たさの行動で、いらぬ量の花粉を吸い込んで花粉症を発症してしまう人もいるのだそうだ。実際、杉林の取材を恐れる報道番組スタッフは多い。
 僕の場合は、多量の花粉など必要ない。ほんの一粒、鼻の粘膜にひっ付けば水っ洟が滲んでくる。
 でも今年は、優れ者の鼻炎薬を処方してもらっているおかげで、番組収録中にティッシュの塊を隠し持ち、カメラが切り換った瞬間に素早く鼻をかむ必要はなくなった。
 ところが、洟は止まるが、今まであまり気にしていなかった目が痒い。「あんまり目を擦ると、顔に皺が増えるわよ」と、ウチの母親は呑気なことを言っているが当人は必死なのだ。
 だいたい、ウチの親は花粉症をナメている。親父は今年になって、あっさり花粉症宣言を撤回してしまった。以前の荒れる杉林視察に出かけて痒くなった騒動は、目にゴミが入っただけらしい。
 僕は優れ者の目薬も見つけた。おかげで目の痒みも治まってきた。だが、花粉は必ず体のどこかにアレルギー反応の出口を探しているに違いない。それが今回の胃が痛い騒ぎに結びついているのかもしれない。
 今シーズンはマスクしながらのジョギングにも慣れたが、やっぱり、花粉の季節の東京マラソン出場は、僕には無理なようだ。
 三月二十二日、いよいよ三万五千人のランナーが東京のド真中を駆け抜ける『東京マラソン2009』が開催される。花粉にすっかり弱気な僕は、生中継するフジテレビで、スペシャルサポーターとしてランナーを応援する側にまわる。世界選手権代表の座を賭けたトップランナーの走り。七時間の時間制限ギリギリでゴールを目指すランナー。三万五千人それぞれの走りから目が離せない。

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