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週刊新潮 四月二日春季特大号
「石原良純の楽屋の窓 」
292回
祝・卒業

 卒業式に唄いたい歌ベストテン。
 テレビやラジオも卒業式シーズンは、そんな話題でもち切りだ。僕がレギュラー出演している『笑っていいとも!』『よ〜いドン!』『ピーカン子育て日和』でも、ランキングを発表した。
『FNNスーパーニュース』では、動画サイトの曲が口コミで広がって数多くの学校で唄われたことがニュースで伝えられていた。
 でも僕には、よく意味が分からない。卒業式で唄う歌といえば『仰げば尊し』と相場は決まっている。卒業式の歌を生徒が自由に選ぶとは。
 一貫教育のエスカレーター校で育った僕は、卒業式の思い出が希薄なのだろう。涙の別れも変らぬ友情を誓い合うこともない。卒業してもすぐに上の学校で、また皆が一緒になるのだから。
 ましてや、中学、高校と男子校だから、右を向いても左を向いてもカラスのように真っ黒な学生服ばかり。第二ボタンをくれだのといった春風が薫るような浮いた話の一つもなかった。
 記憶に鮮明なのは小学校の卒業式のあと、母親とデートしたこと。男兄弟四人で、滅多に母親を独占できない僕にとっては、正しくデートだったと思う。親友の吉田宣晴クンと彼の母親と四人で出かけた先は、東京駅の真ん前、丸の内に聳える東京中央郵便局。日本の郵便事業の中心を記念すべき日に訪ねるのは、切手ファンとしては当然のこと。
 僕らも、歴史的文化遺産の破壊に鳩山邦夫総務大臣と同様に異議を唱えたい。
太い石柱に支えられた高い天井の局内では、整然と郵便業務が行われている。時折、タンタンと消印のスタンプを切手に叩きつける音が響くと、切手少年の胸は高鳴ったものだ。売店コーナーで記念切手を覗いてみると、販売価格は街の切手ショップと大差なかった。だから、当時、僕が嵌っていた第一次国立公園シリーズ購入は取りやめにした。
 もちろん中央郵便局の後は、お隣り神田の交通博物館。大宮に新設されたそれとは比べものにならない地味な施設だったが、それでも鉄道少年の夢を充分に満たしてくれた。宣晴と先を競うように、館内を駆けずり廻って観て廻った。
 早目のディナーは、ホテルニューオータニのダイニング。宜晴がラム肉を頼んだのに驚いて、出てきたラム肉に表皮と毛がついていると宜晴が泣き出したのにまた驚いた。やっぱり子供は、牛、豚、鶏を食べればいいのだと、僕はひとり納得していた。
 残念ながらその後、母親が僕の卒業式に来たことはなかった。
 親父はといえば、入学式、運動会、学芸会、授業参観日、卒業式のひとつにも、姿を見たことがない。
 親父はその昔、伸晃兄の小学校の授業参観に出かけたことがあったという。
「あれ、ウチの親父。結構、有名な作家なんだよ」
 おしゃべりな小学生の伸晃クンは、先生の話も聞かずにずっと後ろを向いて友達に親父自慢をしていたらしい。親父は恥ずかしくなって参観途中で退室したという。だから、二度と子供の学校の催し物には参加しなくなったのだそうな。
「まっ、四人ともちゃんと育ったのだからいいじゃない」
 そんな親父をすかさず横から母親がフォローする。
 最近、僕も子を持つ親になってみて、育った石原家のザックリとした教育観が、僕の頭の中で浮き彫りになってきた。
 大学の卒業式の記憶といえば、在学中から『西部警察』に就職していた僕にとって、卒業式の一日は撮影を休ませて貰った大切な休日だった。
 僕の場合、大学を卒業したからといって大きく生活が変化したわけではない。あい変わらずで四十七歳の僕は、未だになんか卒業していないかも。

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